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LGBTと生物学

2021-06-10 22:25:12 | 時事
5月20日に開かれた「LGBT理解増進法」をめぐる自民党の会合で、出席した衆議院議員が「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」という旨の発言をしたとの報道がありました。最終的に本法案が今国会での提出を見送られたことと合わせて、当事者であるLGBTの人たちはもちろん、多くの人たちから非難の声が上がりました。性的少数者に対する差別だ、という批判です。
ちなみにLGBT理解増進法とは、一般社団法人LGBT理解増進会のHPによれば、「自民党性的指向・性自認に関する特命委員会が法制化を進めている法案で、正式名称は「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」であり、差別禁止ありきではなく、あくまでもLGBTに関する基礎知識を全国津々浦々に広げることで国民全体の理解を促すボトムアップ型の法案」とのこと。
僕は、たしかに差別的な発言ではあるものの、「差別だ」という指摘だけでは少し弱いのではないか、と思いました。当該の発言を行った議員(ご本人は発言を公式に認めておられないので、ここでは名前は伏せておきます)からの、「生物学的には種の保存をしなければならないという事実がある。自分はその事実を言っているだけだ」という反論が予想されるからです。
今、差別だと声をあげている方々の中で、この反論を的確に論駁できる人がいるでしょうか。
ですから、差別だと指摘するだけでは足りないのではないか、理論的な反証が必要なのではないかと思うのです。
なので、上記の発言について、「差別的であるか否か」ではなく、「理論としてスジは通っているか」について考えてみます。

生物学は、生物の生態を観測し記録することによって構築される学問です。その観測に基づけば、基本的にはすべての生物に「種の保存」を目的とする営みが見いだされます。細胞分裂にせよ無性生殖にせよ有性生殖にせよ、種の個体数を維持、もしくは増加することを目指して行われている点で共通しており、それらを総称して、「種の保存」という生物の営みが存在しているという、生物学上の理解が成り立つのです。
そうすると、「人間は生物学上、種の保存をしなければならない」という意見は、政治的に正しいか否かはともかく、一応スジは通っているように思えます。でも、そうじゃないんですね。
「生物学上、種の保存という営みが存在する」ことと、「種の保存をしなければならない」ということは、まったく別物だからです。
「~しなければならない」というのは、「命題」です。命題とは、誰かが特定の志向を有しているときに生まれるものです。「誰か」とは、人間じゃなくても、他の生き物でも宇宙人でもいいのですが、この場合は人間、具体的には自民党の某議員のことですね。
某議員が、「人類は滅んではならない、人口を維持、もしくは増加させねばならない」と考えるときに、「種の保存をしなければならない」という命題が生まれる。
生物学は、生物を観測し、客観的な記述を行う学問です。と言うより、生物学に限らず、学問全般に共通していることですが、その記述は主観を排し、客観的でなくてはなりません。
「~しなければならない」という命題は、特定の志向であり、願望です。それは主観に属します。
学問には、命題(=主観)の入り込む余地はありません。命題が入り込んでいれば、学問とは言えない。それは願望、もしくはイデオロギーと呼ぶべきものです。
せっせと生殖に励む生き物を観察すると、種の保存を目指しているように見えます。しかし、あくまでそう見える、というだけのこと。生き物の中には、人間が思考、もしくは意識と呼ぶ複雑なものを持ちあわせておらず、種のプログラムに応じて生殖をおこなっているものもいるかもしれません。その場合、「種を保存しなければならない」という目的意識や志向性などはなく、盲目的にプログラムに従っているだけ、ということになります。
「種の保存をしなければならない」という命題は、種を滅ぼしたくないという意志があってはじめて生まれるのです。
生物学の中には、「種の保存」という記述がある。しかし、そのことと「種の保存をしなければならない」という命題は、まったくの別物です。
おそらく、上記の発言を行った某議員は、「少子化を食い止めねばならない」といった思いがまずあり、その目的のためにはLGBTが障害になっているように思われたので、その願望の正当化のために、生物学を錦の御旗とすべく引っ張り出してきた、ということなのでしょう。生物学にとっては迷惑極まりない話です。

話はそれだけにとどまりません。生物学は、種の進化を「突然変異」によるものと説明します。既存の形体とは異なる姿の個体が生まれ、それが環境に適していたとき、新たな種として定着する。それが生物に進化をもたらしてきた、という説明です。(進化の説明として、インテリジェント・デザインという説もありますが、現時点での生物学の本流は突然変異です)
その観点から言えば、ヘテロセクシャルとは異なる性的嗜好を有するLGBTの人たちは、突然変異に位置付けられます。LGBTの人たちは、生物学の枠内に規定できる。つまり、「生物学的に正しい」のです。
「種の保存」は、生物学全体の、ごく一部の記述にすぎません。ごく一部でしかないものをもってLGBTを否定するのは、生物学の体系を無視して、恣意的に一部だけを抜きとり、他はすべて見ないフリをするという、実に身勝手で、学問をバカにした態度にほかなりません。
念のため付け加えておきます。僕の説明を聞いて、「LGBTは突然変異に含まれると言っても、種の進化をもたらすことはないはずだ」と思われたかたもいらっしゃるかもしれません。
突然変異の中で種の進化をもたらすものは、ごく少数です。ほとんどの個体は、高い適応力を示すこともできず、また、子孫を残すこともなく、そのまま滅びます。進化は、ごく稀にしか起こらないのです。重要なのは、「一定の割合で突然変異が起こる」ということです。一定の割合で変異個体が発生すれば、既存の種より強い種や、環境が変化したときに柔軟な適応を示す種が生まれるかもしれない。それが進化を、生物の多様性を、現在の多種多様な生物の繁栄をもたらしてきたのです。突然変異が生物の進化を、ひいては多様性を担保する。
「生物の多様性」と「人間社会の多様性」を安易に短絡させるべきではありませんが、「多様な個体が生まれる」ことは、生物の強みなのです。人間から多様性が失われ、LGBTを含めた変異個体が生まれなくなれば、環境の変化やパンデミックなどの危機が起きたときに、我々はあっさり滅びてしまうでしょう。

もうひとつ正しておかねばならない誤解があります。「LGBTの人たちは基本的に子供を産み育てることはない」という、一般的な認識に対してです。
LGBTの人たちは、その性的嗜好ゆえ、通常子供を産み育てたりしない、と思われています。しかし、彼らも体外受精や里親によって子供を育てることは可能です。ただしそのためには、不都合なく子育てが行える環境が必須。
では、その環境は何によって整備されるか。法による保証と、社会通念上の理解です。
法律によって、LGBTの人たちが子育てしやすい条件が整えられ、性的少数者も対等に遇されねばならないという理解が一般化することで、環境は整えられます。そうなればLGBTの人たちも、積極的に子育てを考えるようになるのです。
つまり、LGBT理解増進法を否決するのは、人口増に与するどころか、むしろ反しているのです。
具体的に考えてみましょう。レズビアンのカップルがいて、子供を持ちたいと望んでいたとします。しかし、自分たちが子供を持ち、家族として振る舞っていたら、近所から後ろ指をさされないか。子供が学校でいじめられないか。普通の子供なら受けられる福利厚生などの社会的保証から、法律の壁によって排除されないか。
様々な不安材料が思い浮かぶでしょう。そして、親になるのをあきらめるのです。
法律上の保証が乏しく、ヘテロの人たちの理解が浅いからそうなってしまう。
現在の日本は、LGBTの人たちにとって、子育てがしやすい環境にありません。言い換えるならば、この国が、LGBTの人たちから子育ての機会を奪っている、ということです。自分たちで奪っておきながら、「生産性が低い」などと妄言を吐いたりしている。実に恥ずべきことです。
自民党の某議員に、その自覚はあるのでしょうか。他ならぬ自分こそがLGBTの人たちから子育ての機会を奪っているのだ、という自覚が。

僕は現状、あまり希望を持てずにいます。上記の発言を行う国会議員がいるということ。それはおそらく、同じ意見の国民が少なからず存在しているということでしょう。
彼らは、古い思考に取りつかれている。それは、「人口も経済力も増えれば増えるほどいい」という、高度経済成長的思考です。とっくに耐用年数が過ぎて使い物にならない思考、21世紀の現代には不適当な思考であるにも関わらず、彼らはそれにしがみついて離れようとしない。
この迷妄はどうすれば解き放てるのか。僕にはそのすべが思いつかないのです。


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