きょうの朝日新聞夕刊に、藤原帰一が『時事小言』で、アメリカ社会が大統領選で左右の分断が加速していることを嘆いている。藤原の嘆きがわからない。クリントンやブッシュの「中道」のどこがいいのか、わからない。
第2次世界大戦の前のアメリカには、共産主義者や社会主義者が都会に一杯いた。だから、フランクリン・ルーズベルト大統領はニュー・デール政策に行なえた。大恐慌で職を失ったアメリカ国民に政府が働く場所を与えた。このときのダム建設や道路建設が、その後のアメリカの繁栄の礎になった。また、ルーズベルトはソビエト連邦と協力してファシズムやナチズムを抑え込めた。また、国際連合を作ることができた。国際連合は、イタリア・ドイツ・日本と連合して戦った国々の集まりを恒久化するものとして建設された。
自由主義と個人主義に立脚した共産主義、社会主義が確立するはずだった。
ところが、1948年の大統領選民主党予備選で、ルーズベルトの政策を引き継ごうとするヘンリー・A・ウォレスが、ソビエト連邦に忠実な隠れ共産主義者だと中傷され、ハリー・S・トルーマンに敗れた。この、共産主義者が外国のソビエト連邦のために働いているという排外主義的妄想が、共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員のもと「赤狩り(red scare)」という形で、1950年前半に猛威をふるう。共産主義者と思われたものは、アメリカ議会に呼び出され、共産党員、シンパという自分の罪をみんなの前に告白し、他の共産党員、シンパを告発させられた。
これは、人の思想信条の自由を奪うだけでなく、人の相互の信頼感を根こそぎに傷つけるものだった。私は、左翼思想がアメリカで根絶えたと思っていた。
だから、バーニー・サンダースが2016年の民主党予備選に出てきたことは私には驚きだった。アメリカに左翼思想がよみがえったのだ。そして、今年の民主党予備選では、バーニーが選択しうる候補であることを全アメリカで認識されるようになっている。
べつに、「中道」であるから、いいわけではない。貧困層をなくすことのほうが、中間層をふやすよりも重要ではないか。
藤原帰一は4年前に朝日新聞に「小学校の先生に教わった民主主義とは、要するに多数決のことだった」と書いた。この真意はわかりかねる。民主制をバカにしているように思える。2400年前のプラトンも民主主義をバカにして「(民主制では)その国における役職はくじで決められることになる」といっている。藤原はプラトンと同じく、優秀者が国を統治すればよいと考えている。民主制は儀式で、左や右が選ばれていけないと考えている。
私からすれば、なぜ、左がいけないのか、民主制がいけないのか、わからない。民主主義とは、 “government of the people, by the people, for the people”(人民の、人民による、人民のための統治)であり、左が求めてきたものである。
バーニーは企業や団体からの寄付金を拒否し、個人からの小口献金で、民主党予備選を戦っている。これは良いことではないか。