猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナウイルス対策に国は国民の個人的努力を要求するだけなのか

2020-02-24 22:21:12 | 新型コロナウイルス

あす、2月25日、政府は新型コロナウイルスの対策方針をまた発表するという。

前回、2月17日に「国内発生の早期」ということで、「重症化を防ぐための体制をつくろうということ」で、「目安」をつくったと、加藤勝信厚生労働大臣が大臣会見で話をした。その「目安」では、37.5度以上の発熱が4日以上続くまで家にいて、続いたら「帰国者・濃厚接触者相談センター」に電話をかけようというものである。すなわち、肺炎の疑いがでたら、相談センターに電話をかけろと言っているのだが、新型ウイルスは、肺炎症状がでると急激に重症化する。そんなことを政府が堂々というのは無責任ではないか。

きのう、加藤大臣は「流行の移行期」の段階であると発表している。それでは、「目安」を変更するのか。新型コロナウイルスの診断・治療体制はどうするのだろうか。また、現在、地域によって、新型コロナウイルスの発生件数が大きく異なるが、感染検査に消極的な地域があるためではないか、の疑義にどう答えるのか。

NHKから漏れてくる情報では、この1,2週間は、人ごみにでず、家でじっとしていて、医師にも受診するなというものらしい。感染者がでなくても学校を閉鎖しろと言っているのだろうか。満員電車を個人の努力で避けろというのか。

個人の努力が必要なことは分かるが、しかし、政府にはもっと重要な なすべきことがあるのではないか。

これからは1日に何十人と感染者が出てくる。その濃厚接触者を追跡することが難しくなる。それよりも、感染検査を幅広く一般に提供すべきだろう。

加藤大臣は17日の会見で「一日3,000件を上回る」PCR検査ができるようにするというが、2月21日の段階で、クルーズ船とチャータ便をのぞくと、累積693件しか、検査が行われていない。感染検査が自由にうけられる環境が現在ないからである。加藤大臣が呼びかけても、厚労省の役人が動かないからか、地方の保健所が動かないからか。

テレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーでは、PCR検査を保険適用にしろ、と言っている。その通りだと思う。

しかし、17日に出された大臣会見では、検査はすべて保健所を通し、国立感染症研究所や地方衛生研究所で、必要なら民間5社に委託するという。どこかで、検査を渋っているところがある。厚労省の役人か地方自治体の長であろうか。

このPCR検査を妨げている犯人捜しよりも、PCR検査を自由化し、保険適用にしたほうが手っ取り早い。PCR検査は多くの医療検査会社で日常的にやっていることである。

あとは、発熱患者から検体をとる作業を誰がやるかである。経験ある医師にやらせる手もあるし、医療検査会社の授業員がやっても良いのではないか。1日3000件以上のPCR検査を行うようになると、検体をとる作業もボトルネックとなる可能性がある。

診断と共に治療体制の充実が必要である。呼吸器疾患の重症患者を受け入れている病院なら、経験も設備もあるだろう。感染症指定病院に限定せず、治療体制を広げる必要がある。これまで、厚労省はどれだけの重症患者を受け入れられるのか、また、それを増やすためにどのような努力をしているのか、これまで、発言していない。

また、肺炎を発症している可能性があるのか、新型コロナウイルスの検査をしたほうが良いのか、の判断を町のかかりつけ医が判断する体制をつくった方がよいのではないか。さもないと、重症になってから、相談センターに電話をかけるというケースが、続いてしまう。

また、すでに開発され認可された抗ウイルス薬のなかで、新型コロナウイルスの患者に効くものがないか、国立感染症研究所のリーダーシップで、系統的に試すべきだと思う。外国の論文でいろいろと報告されているが、その真偽を確かめるべきだろう。

  ☆ ☆ ☆

笑い話のような話だが、私が外資系IT会社に勤めているとき、20年前だが、サーバーに多数のアクセスが来て、サーバーのダウンが頻発した。そのとき、日本人の技術者がビッグ・アイデアがあると本社にむけて誇らしげに提案した。サーバーの手前のルーターでアクセスを絞れば良い。すなわち、サーバーへのアクセスが減れば、サーバーがダウンしない。残念ながら嘲笑されただけだった。

たしかに、病人が医療機関に受診しなく、家にじっとしていれば、日本の医療体制は崩壊しないだろう。しかし、そんなものが医療体制と言えるのだろうか。日本人はアタマがおかしい、と思わざるをえない。

[追記]
けさ、2月25日のテレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーで、加藤厚労相大臣の言った「1日に3000件を上回るPCR検査」は期待であって、厚労省が、民間を含む各機関に確かめた数ではないという。また、厚労省がまとめている、PCR検査の実績数も、実際に地方の衛生研究所が行っている検査数を反映していないという。さらに、政府が主催した2月24日の新型コロナウイルス対策専門家会議で、PCR検査体制が患者数の増加に対応できるかは、話題にもならなかったという。

加藤大臣は厚労省役人にバカにされているのではないか、と私は思った。しかし、モーニングショーでの意見では、専門家はただ政治的決断にしたがっているだけで、専門家会議の前に、だれかが政治的決断を下しているのだろうであった。ということは、加藤大臣の上を見て、厚労省役人が動いているのだろうか?

悪魔の兵器「原爆」の誕生は科学者の心に責任がある?

2020-02-24 00:11:32 | 戦争を考える


きのうの深夜、NHKで、2018年のBS1スペシャル『“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇』の再放送があった。思わず、99分見いってしまった。

NHKが制作したドキュメントである。しかし、語りが誰か、声は誰かの名前(クレジット)があるが、誰が取材して、誰が制作して、誰がシナリオを書いたかが、番組紹介に出てこない。ドキュメントを信頼するか否かは、語り手や声優の迫真性ではなく、取材者や製作者やシナリオライターへの信頼性である。決して、NHKという組織を信頼してではない。

[訂正]You Tubeにこの番組の録画あがっていたので確認すると、最後の数秒に画面最下部にクレジットが出ていた。ディレクターが鈴木冬悠人、製作が内田俊一、古庄拓自、取材が山田功次郎、宇佐美悠紀、リサーチャーが中里雅子とあった。大作ありがとう。

ネットで探してみると、鈴木冬悠人が、取材の動機を書いていた。

《取材のきっかけは、去年制作した戦争番組だった。
第二次世界大戦中に、日本を徹底的に焼い弾空爆したアメリカの空軍幹部たちが、口をそろえてこう証言していた。
「日本に対する原爆投下は、軍事的には全く必要のない作戦だった」。それを聞き、大きな疑問を抱いた。
じゃあ、いったい誰が、何のために原爆を製造し、日本への投下を推し進めたのか。》

その答えは科学者である、というのが、このドキュメントである。「軍や政治家でなく、科学者自身が原爆開発を提案し、積極的に推進し、投下も主張した」。すなわち、科学者の心に闇があるのだという。

ルーズベルトの科学技術アドバイザーのヴァニーヴァー・ ブッシュとロスアモス研究所所長のロバート・オッペンハイマーが極悪2人組だという。
    ☆
私はヴァニーヴァー・ ブッシュの名前を聞いたことがないので、ウィキペデイアを見てみると、1917年、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学から工学博士号を受けている。

彼は、第1次世界大戦時に、潜水艦を発見するための技術を開発した。1932~38年には、MIT副学長と工学部学部長を務めた。1939年、研究資金の潤沢なワシントン・カーネギー研究機構の総長職となった。非公式な政府の科学顧問としても助言をする立場となり、ブッシュはアメリカ国内の研究のを軍事的な方向に舵を取った。1940年、アメリカ国防研究委員会(NDRC)の議長となった。

すなわち、ブッシュは「物理学」と無縁のひとであり、軍事研究をてこに権力に近づき、行政管理畑の道を歩いた人である。私にとって、ブッシュがまったく知らない人であって、あたりまえである。

番組では、ブッシュは物理学の研究資金と物理学者の職をふやすために、軍事研究を推進したとしている。

《科学は病気をなくし生活水準を向上させているのに、物理科学への資金援助は大幅にカットされ完全にうち捨てられた。》
《戦争が始まる前の1930年代、アメリカを覆った世界大恐慌。博士課程を修了しても科学者の多くは仕事に就けませんでした。この戦争に貢献し、科学者の地位をあげるとブッシュは強い決意でのぞんだ。
この戦争は科学技術が左右する。もっと強力な爆弾を造りあげて他人の頭上に落とすのも悪いことではない。》

回想では、自己を正当化するために何とでも書く。

アメリカが第2次世界大戦に参戦するのは、1941年12月である。そのまえに、ブッシュはアメリカ国内の研究を軍事的な方向に舵を取っている。単に、アメリカ国内の好戦的な上流階級の人々に合わせて、自分の野心を成し遂げようとしたのではないか。
    ☆
もう一人の重要人物は、ロバート・オッペンハイマーである。彼については、多少の知識をもっている。分子科学でボルン=オッペンハイマー近似というものがある。彼の功績はこれだけである。彼は大学で化学を専攻した。イギリスのキャヴェンディッシュ研究所に留学し、化学を学んだ。オッペンハイマーはここでニールス・ボーアと出会い、実験を伴う化学から理論物理学の世界へとはいった。

ドキュメントでは、オッペンハイマーは名誉欲が強く自己中心的で、能力が認められず、ふてくされていたとか、性格が悪いとか、中傷のオンパレードであった。とにかく、その彼が、39歳の1943年、ロスアラモス国立研究所の初代所長に採用され、原爆製造研究チームを主導した。

一般に、科学者は権威を尊重せず、集団行動が嫌いだから、組織の管理者に向いてない。お金が好きで役職が好きで権力者の意志を気にするものが管理者に向いている、と上の人間は考える。私が会社に勤めているときも、上はそうだった。

これは あくまで一般論だ。ドキュメントでは、オッペンハイマーはロスアモス研究所で起きた開発の疑念・反対にたいして話し合いで解決しようとしている。その点で非常に良識的な市民としての一面を見せており、極悪人とは言えないかもしれない。

物理学者レオ・シラードがルーズベルト大統領に原爆開発の手紙を送ったのは1939年である。このとき、ブッシュはルーズベルトに軍事技術の助言をしていた。ルーズベルトが正式に核兵器開発を認可したのは1942年10月で、ブッシュと副大統領のヘンリー・A・ウォレスが立ち会っている。プロジェクトの管轄を陸軍にした。また、ルーズベルトは10月11日にはイギリスの首相ウィンストン・チャーチルに書簡を送り、協力を要請した。

原爆開発プロジェクトの暗号名はマンハッタン計画である。

チャーチルに書簡を送ったのは、イギリスでも原爆の研究が進められていたからだ。ウラン235を爆発させるには数kgから10kgで十分だと見積もられていた。その報告が1941年10月、ルーズベルト大統領に伝えられている。

じっさいには、それ以前から、ウラン鉱石の採掘、ウラン235の濃縮が研究されており、1942年12月22日に、エンリコ・フェルミやレオ・シラードらが世界ではじめて核分裂連鎖反応を人工的に引き起こした。これによって、いろいろな物理定数を測定できた。

当時、日本もドイツも核兵器研究にとりかかっていたが、核分裂連鎖反応を引き起こすことができず、臨界半径などの重要な設計に必要な定数を求めることができなかった。

すなわち、ブッシュには大統領と副大統領とともに核兵器開発プロジェクトへの資金投入を決定できるほどの権力があった。

オッペンハイマーは雇われた駒である。2016年のBS1スペシャル『原爆投下 知られざる作戦を追う』では、陸軍将校につねにプロジェクトの進行を報告する立場、中間管理職であった。今回のドキュメントは、オッペンハイマーはどうしてこの機密プロジェクトを知り得たのか、どうしてブッシュは彼を雇ったのか、いつ雇ったのかを、明らかにしていない。

ブッシュから見れば、オッペンハイマーに物理学的才能がないから、核兵器開発の技術的管理に最適とみえたのではないか。それは、ロスアモス研究所の目標は、すでに科学的研究ではなく、兵器として設計し、製造することであったからである。

今回のドキュメントで私が得た新しい知識は、ハリー・S・トルーマンが大統領になるまで、核兵器開発プロジェクトを知らなかったことである。民主党内で、トルーマンはルーズベルトと対立する立場にあり、1941年には、軍事費の不正使用を追求していた人である。1944年にルーズベルトが大統領に4選されるため、トルーマンを副大統領にした。その彼が、大がかりにすでに進展していた核兵器開発プロジェクトを、1945年4月12日にルーズベルトが急死するまで、知らなかったのだ。

これには、びっくりした。ブッシュとルーズベルトは完全機密として原爆の開発を進めることができたのだ。そうできたのは、愛国心のマジックとともに、情報流出に厳しい罰則が規定されていたからであろう。英国の科学者が、ソビエト連邦に原爆製造の機密を漏らしたことで、戦後、死刑になっている。

ルーズベルトが急死したことで、ブッシュやオッペンハイマーはプロジェクトを戦争終結の前に完成させ、使用しないといけないとの思いに追い込まれた、とドキュメントは描く。
特に、ブッシュはなぜ200億(150億?)ドルものお金を投資したか、とアメリカ国民に責められないように、原爆のおかげでアメリカが戦争に勝利したという、演出をせざるをえない立場になった。

ドキュメントでは、核兵器の開発を知ったトルーマンは、開発された原爆をどこで使うかの委員会を発足させた、という。それに、ブッシュとオッペンハイマーとが参加しており、必要がないのに広島、長崎に原爆を落としたのは、科学者ブッシュとオッペンハイマーのせいであるとする。すなわち、科学者は悪魔の心をもっているとする。

委員会は5人でできているから、「ブッシュ、オッペンハイマー=科学者=悪魔」の論理は、ちょっと、無理だと思う。

それに、BS1スペシャル『原爆投下 知られざる作戦を追う』では、1945年8月6日の広島原発投下はトルーマン大統領の承認をとっておらず、オッペンハイマーの上司の、プロジェクト責任者のレズリー・リチャード・グローヴス陸軍少将が命令したという。子どもや女をターゲットに原爆を使うなという大統領の指示を無視し、実行されたものであるという。

このように、BS1スペシャル『“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇』はツッコミどころが満載である。たしかに、核兵器は個人的な野心によって開発されたと言えるが、「科学者たちの心の闇」は言い過ぎで、ブッシュの野心と陸軍上層部の野望とが合致して起きたことと考えた方が良さそうに思える。

愛国心は野心と容易に合体しやすいのである。