猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

トランプの支持者たちのディープストーリー、『壁の向こうの住人たち』

2020-12-01 22:24:18 | 社会時評
 
アーリー R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)の第4部に読み進む。謝辞や付記を除いて、いよいよ、これが最後の章である。本書の批評もいちおうの区切りをつけるときがきた。
 
本書の原題は“Strangers in Their Own Land”である。第4部まで読むと、この原題の意味がわかる。第15章に、日本語訳だが、つぎのようにある。
 
〈わたしは何度も首をひねった。なぜこんなに問題が山積みなのに、それを軽減してくれる連保政府のお金をあんなに疎んじるのだろう。・・・・・・ わたしは、感情的利益――自国にいながら異邦人であるという感覚からの、めくるめく解放感――がきわめて重要であることを発見した。〉
 
南部の貧乏な白人の「ディープストーリー」は、自分自身の地にいるのに、よそ者扱いを受けている、という感情である。著者はこれをキー・メッセージと考え、本のタイトルとしたのだと思う。
 
さて、著者は「ディープストリー」を次のように説明する。
 
〈その人にとって真実と感じられる物語――これを“ディープストーリー”と呼ぶことにする〉
 
私はこの説明はあまり良いとは思わない。“story”とは、個々人の記憶のことである。そして、 “deep story”とは、心に深く焼き付けられた体験の記憶のことである。英単語や数学公式の記憶とは質的に異なって、強い情動をもって記憶され、強い情動をもって思い出される記憶のことである。
 
記憶は人間の行動を規定する。したがって、権力者は教育を行って、同じ記憶をみんなに持たせようとする。いわゆる洗脳である。しかし、個々人の体験は同じでない。強い情動をもった記憶は、より強く個人の行動を規定する。
 
相手の個人的物語を知ることは相手に敬意をはらうことだ。しかし、相手の物語に共感できなくて、同情するだけになっても仕方がない。
 
私は、記憶に支配されず考え、行動できることのほうが重要と思う。それが「自由意志」をもつということである。
 
第4部の第15章は、トランプが なぜ貧乏な白人男性たちから支持されたか を著者は論ずる。
 
〈トランプは“感情に訴える候補者”だ。・・・・・・ 彼の演説は、優越感を煽り、虚勢や明快な物言いをよしとし、米国民のプライドを呼び覚まして、個人の向上を促す。〉
〈彼の支持者たちは、失われた生き方を嘆いて暮らしてきた。・・・・・・ プライドを持ちたいと強く思いながらも、屈辱を感じていた。この国がもはや自分の国とは思えなくなっていた。しかし今や彼らは自分と同じような人々と連帯し、希望と喜びに満ちて、気持ちの高揚を感じている。〉
〈ドナルド・トランプを取り巻いて興奮する集会の本当の機能は、「列の前方に割り込む」人々がとんでもない奇妙なアメリカを作ろうとしていると恐れる福音派の熱心な白人信徒をひとつにまとめることなのだ。〉
〈彼は“政治的に正しい”姿勢だけではなく、一連の感情のルール――つまり、黒人、女性、移民、同性愛者に対する適切な感じ方とされるもの――まで捨てようとしていたのだ。〉
 
トランプは、支持者たちを責めないだけでなく、「政治的に正しい姿勢(political correctness)」をあざ笑うことで、支持者たちを「屈辱感」「劣等感」「罪悪感」から解放するのだ。
 
トランプが貧乏な白人男性たちから支持されたのは、彼らのディープストーリーの共通点が「屈辱感」「劣等感」「罪悪感」だからだ。決して、「巡礼の途上のように、山の上へと続く長い列に辛抱強く並んでいる」からではない。著者、アーリーはまちがっている。
 
最終章の第16章で、著者はアメリカの分断を修復できるという希望を示す。
 
〈ルイジアナで出会った人々は、バークレーからやってきたこのよそ者を、ときにからかい半分に、あたたかく受け入れてくれ、人間としては、こうした壁を簡単に乗り越えられることを教えてくれた。〉
 
そして、著者から右派への手紙、実際には出されはしない手紙の中で、つぎのよう書く。
 
〈進歩的なリベラル派の多くは、あなたがたと同様、この国の政治的選択に満足していません。そして多くの人々が、あなたがたのディープストーリーにいくらか共感するものを感じています。〉
〈進歩派の人々のことを知れば、彼らもまた、あなたがたと同じように、彼ら自身のディープストーリーをもっていることに気づくはずです。〉
 
私は、「進歩」という言葉が気にいらない。第1に「進歩」という考えはいかがわしいものだ。そんなものはない。第2に「進歩」という言葉は、上から目線で相手に話しかけているのだ。
 
つぎに、著者の分断修復の「希望」だが、「よそ者」をあたたかくする受け入れることはあたりまえのことである。個人的な付き合いと政治的な対立は別で、個人的な関係が政治的対立を解決しない。
 
私は、それより、著者がルイジアナ南部の住民から聞き出した個々のディープストーリーに、自分を「善い人」と他人に思われたいという感情を見いだすことができる、そのことにこそ、アメリカの分断を埋める希望があると考える。
 
ここでも、著者、アーリーのまとめは安易すぎる、と私は思う。