猫じじいのブログ

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日米開戦の前年の斎藤隆夫の帝国議会代表質問―日中戦争の収拾案

2020-12-07 23:04:35 | 戦争を考える


第2次世界大戦は、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻に、それに対して、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告して始まる。日本がアメリカに開戦を通告したのは1941年12月8日である。それまでは、日本・ドイツ・イタリアの三国同盟にもかかわらず、ドイツ・イタリア対イギリス・フランスの戦争に日本は参加しなかった。

伊藤隆監修の中学校教科書『新しい日本の歴史』(育鵬社)に、つぎの簡単な記述があった。

〈1940年、立憲民政党の斎藤隆夫は帝国議会で、日中戦争の解決に関する演説(いわゆる反軍演説)を行ったため、軍部の怒りを買い、議員を除名されました。〉

この斎藤の演説は、2月2日に米内内閣に対する民政党の代表質問として帝国議会で行われた。演説の速記録を読むと、反軍演説というより、日中戦争、および戦争収拾策の批判である。演説の後半三カ所が議会の速記録から削除され、3月7日、政友会、民政会、社会大衆党の賛成で斎藤は議会から除名された。

当時、日本は、日中戦争の泥沼化で、三国同盟にかかわらず、欧州で始まった第2次世界大戦に参加する余裕がなかったのである。

半藤一利の『昭和史探索 5巻』(ちくま文庫)に斎藤の演説の削除された部分が掲載されている。16ページに渡る長いものである。ここでは、私がそれを要約してみた。

1.戦争に正義や善悪というものはない。徹頭徹尾、力の争いである。「国際正義を盾とし、いわゆる八紘一字の精神を持って、東洋の永遠の平和、ひいて世界の平和を確立するために戦っている」とする日中戦争の処理方針「近衛声明」を批判的に検討する必要がある。

2.内閣は汪兆銘新政府を支援し、蒋介石政府の撃滅をかかげているが、汪兆銘新政府には実体がなく、蒋介石政府は軍事力を有する。新政府ができても、維持できないのではないか。日本の国力を対照して、蒋介石政府と和平工作をすすめるべきである。

3.戦争は国民に経済的にも肉体的にも大きな犠牲をしいている。歴代の政府は国民に向かって、しきりに「精神運動」をはじめているが、それだけで、日中戦争を解決できない。

非常にまともな演説であるが、しかし、帝国議は斎藤を議員から除名した。除名に賛成した政友会、民政会、社会大衆党の議員たちはバカではないか。

斎藤から質問を受けた内閣総理大臣の米内光政は、海軍出身であるが、親米派と言われていた。そして、彼は斎藤の代表質問を評価したといわれている。それなのに、なぜ、斎藤は除名されたのか、私にはわからない。

斎藤の演説をみんなが理解したなら、翌年の日米交渉は妥結にいたっただろう。ハル・ノートは、強硬案としてでなく、両者が納得できる案として受けとめられただろう。

この後、11月までに、つぎつぎと帝国議会の政党は解散し、近衛文麿の「大政翼賛会」に合流した。すでに共産党は非合法化されており、翌年の12月8日のアメリカへの開戦を帝国議会は止めることができなくなったのである。