猫じじいのブログ

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伊藤隆と司馬遼太郎の幻の対談―坂の上に雲はあったのか

2020-12-09 22:58:57 | 戦争を考える

日本近代史家の伊藤隆の『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』(中公新書)のなかに、興味深いエピソードが書かれている。

1986年に中央公論が伊藤と作家司馬遼太郎との対談を企画した。が、会って対談を始めると、伊藤は司馬の発言にかみつき、対談はそのままお蔵入りになったという。

司馬は、当時の人気歴史小説家で、NHKのシルクロード紀行やドキュメンタリー番組に進行役でよく登場していた。

伊藤はつぎのように書く。

〈私は司馬さんの愛読者ではないけれど、『坂の上の雲』は面白いと思っていました。その日も「雲を求めて、坂を上がってきた日本は、その歴史をどう見通すことができるか」という話しができればと考えていました。〉

『坂の上の雲』は、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本の青春群像劇である。中心となるのは、陸軍大将になる秋山好古と、その弟で海軍中将となる秋山真之と、俳人の正岡子規である。ここでの「雲」とは、「日本の近代化の目指した夢」だ。

〈ところが司馬さんが、「結局、雲がなかった。パルチック艦隊の最後の軍艦が沈んだ時から日本は悪くなった」
「日露戦争までの日本史は理解できるが、昭和にはいってから20年間の歴史は他の時代とはまったく違い、断絶している、非連続だ」
と言うに及んで、反論のスイッチが入りました。〉

日郎戦争までの「明治」がよくて、「昭和」に入って日本が悪くなったというのは、半藤一利など穏健な保守の論客によくみられる意見である。だが、伊藤は気に入らなかったようだ。私は、日清戦争も日露戦争もロマンチックに捉えることではなく、「反軍演説」の斎藤隆夫のいうように、人の命を粗末にする強欲の戦争であると思う。

ところが、伊藤がかみついた理由が私と異なっていた。

〈坂をあがっていって、雲をつかめたかどうかはわからないけれど、かつて夢にまで見た、西欧的な産業国家になったのは事実です。司馬さんのような見方は、西欧コンプレックスそのものだし、東京裁判の図式と変わらないではないか、といつもの調子で言い募ってしまったのです。〉

このことで、伊藤と司馬は仲たがいをして二度と口をきくことがなかった。

伊藤が「西欧的な産業国家になった」で何をいいたいのか、私にはわからない。
第1に、日清戦争や日郎戦争をしたから西欧的な産業国家になったと伊藤は言いたいのかという疑問である。
第2に、「西欧的な」とは何をいうのか、ということである。日本の「産業」生産力が欧米並みになったというのか、経済システムが欧米のシステムを模倣できたというのか、意味がわからない。

司馬もわからなかったのではないか。それなのに、「西欧コンプレックス」だとか「東京裁判の図式とかわらない」と罵倒されて面食らったのではないか。そして、ものすごく腹がたったのではないか。

司馬遼太郎とか半藤一利とかは、明治の近代化の目指したものをデモクラシーととらえる。ところが、いつまにか、陸軍や海軍が変な動きをしだす。第1次世界大戦でドイツの隙を狙い、中国山東省の租借地青島を占領し、海軍は南洋諸島のドイツ領を占領する。ロシアで革命が起き、内乱が勃発すると、シベリアに出兵する。この動きが大きくなって、昭和に日本からデモクラシーを追い出すことになったという思いが、彼らにある。

伊藤の言いたいことは理解しがたいが、明治のロマンが昭和の革新派(昭和維新)につながっているとの思いが彼にあり、昭和の新体制運動のすべてを否定する風潮が気にいらなかったのでは、と推察する。もし、そうなら、伊藤が丁寧に説明すれば、面白い対談になったと思う。伊藤は大人気(おとなげ)がない。