猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

節制、清貧、労働をよしとすることと 他人の助けを拒絶することは別だ

2020-12-02 23:06:17 | 社会時評

私は節制や清貧や労働が好きである。

私が子どものとき、人間は餓えることなく、寒さをしのげる衣服と寝るところがあれば、それで十分であるという話しを聞き、妙に納得していた。
自分が不必要にたくさん取れば、誰か足りない人が出てくる。そんなに強欲にならなくても生きていける。その通りだと思う。
争って奪う社会だと、足りなくて困る人が出てくる いっぽう、取りすぎて無駄に捨てる人がでてくる。

「自由主義」「資本主義」を自慢するのはおかしい。頭がおかしくなっているのではないか。

しかし、節制や清貧や労働が好きだからといって、他人に自助を求めるのはおかしい。

「叩き上げ」の菅義偉は頭がおかしいのではないか。

死にかけている私の兄も、私以上に、節制や清貧や労働が好きである。
自分の娘にも自分の好みの生き方を押しつけた。
すると、娘は、社会を冷たくて自助が求められるところと思った。自立とは他人の助けを受けず生きることと思った。

娘は、6年前に夫に蒸発されて、働きながら一人で子ども育てた。料理店で働いているので、いま、新型コロナで仕事が少なくなり、生活が苦しくなっている。
私は、助けを求めない兄の娘が心配で心配でたまらない。ひさしぶりにあったら、痩せてどす黒くなっている。

貧乏であることは恥ずかしいことではない。そして、助けを求めることも恥ずかしいことではない。
日本国憲法に勤労の権利があるが、職を失うことだって起きる。自助ができないことだってある。何も恥ずかしいことではない。
優越感をもつことは不必要なように、劣等感をもつことも不必要なのだ。
助けが必要なら、助けを求め、助けを受けて、生きるのだ。
屈辱感をもつ必要はない。助けを求め、受け入れることが勇気である。