加藤陽子の本を2冊 図書館にネットで予約したとき、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)と間違えて、別の本、『とめられなかった戦争』(文春文庫)をクリックしてしまった。2日前に図書館で現物を受け取って、はじめて、間違いに気づいたが、この本は薄いが論旨が簡潔で悪くない。『戦争まで』と比べ、上から目線もさほど強くない。おすすめできる。
本の構成は歴史的順序と逆に書かれており、第1章が「敗戦への道」、第2章が「日本とアメリカとの戦争」、第2章が「日米開戦決断と記憶」、第3章が「日中戦争長期化の誤算」、第4章が「満州事変 暴走の原点」である。
本書を読むと、当時の中国と日本関係がウクライナとロシアの関係に対応しているに驚く。
第3章では、日本が中国に宣戦布告することなく、1937年に軍事侵攻を行うのである。当時の中国政府は、これに軍事的に反撃するから戦争である。しかし、中国も日本もそれを戦争と呼ばなかった。当時、アメリカに「中立法」があって、戦争する当事国には武器や戦争に利する物資の輸出を禁じていたからだという。
なし崩しに始まった戦争に、1年たったころには、大陸に動員された兵士たちも、銃後の国民も、疲れはじめて、戦争に疑問を持ち始めたという。その事態を打開するために、1938年に、日本政府は「東亜新秩序の建設」を打ち出したという。後づけの大義名分である。
その2年前の1935年に、中国の胡適はつぎのような論文を書いたという。
<中国は豊かな軍事力を持つ日本を自力では倒せない、日本の軍事力に勝てるのはアメリカの海軍力とソ連の陸軍力の2つしかない、だからこの2国を巻き込まない限り中国は日本に勝てない>
<中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、2,3年間、負け続けることだ>
このアメリカを巻き込むという戦略は、いま、ウクライナ大統領のゼレンスキーがやっていることである。
第4章は日中戦争と導く根本原因の1931年の満州事変である。ここで、満州事変を起こした張本人の石原莞爾の1928年の軍部内の報告が引用される。
<日米が両横綱となり、末輩までこれに従い、航空機をもって勝敗を一挙に決するときが世界最後の戦争。……対露作戦のためには数師団にて十分なり。全支那を根拠として遺憾なくこれを利用せば、20年でも30年でも〔アメリカとの〕戦争を継続することを得。>
私には、この石原が何を言っているのか理解しがたい。加藤は彼の評価を「毀誉褒貶愛半ば」すると言っているから、論理的に解せよと言っても無理だろう。第1の疑問は「全支那を根拠として利用せば」とは、実現性のあることと考えていたのか、である。「全支那」とは「全中国」のことであって、「満州」だけではない。石原はドイツに留学したというから、何か欧米に対する劣等感を引きずって、中国人も日本人と同じ黄色人種だから、日本に味方してくれるという妄想をもっていたのではないか、と気になる。暴力を振るう日本に中国人が好意を持つはずがない。
第2の疑問は、いつごろ、日本とアメリカとが戦争すると、石原は予測していたかである。
ここで第2章に戻ると、1941年の日米開戦に先立つ20年近く前、日本政府は国防方針で最大敵国をアメリカに変えたとある。政府は、戦争の起きうる理由を、東アジア(中国をさす)での日本とアメリカの経済的利害対立とした。それから、日本は20年に渡ってアメリカとの戦争の準備をしてきたと加藤はいう。
ロシア軍のウクライナ侵攻を考えるとき、本書は薄くて論旨がわかりやすく、おすすめの本である。