猫じじいのブログ

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「専守防衛」のタガをはずそうと気勢をあげる自民党と日本維新の会

2022-05-30 23:47:56 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

きょうの朝日新聞の記者解説は『空文化する「専守防衛」』であった。この62日前の3月19日にも同じ新聞の〈オピニオン&フォラム〉に、元内閣法制局長官 坂田雅裕のインタビュー記事『なし崩しの「専守防衛」』がのった。安倍政権のもとに、2013年の防衛計画大綱、2015年成立の安保法制をもって、実質的にも法的にも「専守防衛」の規制が崩れたとする。

「安保法制」では、日本が、国民の生命と財産を守るために、同盟国と共に他国で戦うことが想定されているのだから、「専守防衛」という自己抑制の「たが」が外されている。それでは、自衛の範囲をいくらでも拡張できるようになる。他国にいる日本人の生命と財産を守るための戦争が「安保法制」では制定されている。

じっさい、2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻は、アメリカやNATOの支援で軍事化するウクライナがロシアの安全を脅かしているから、自衛のための特別軍事作戦だとプーチンが言っている。

「専守防衛」という自己抑制の「たが」をはずせば、自衛隊の存在は、日本国憲法第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に明らかに違反する。だから、日本弁護士会連合会(日弁連)は、今なお「安保法制」は憲法違反と言い続けている。日弁連は正常な感覚をもっている。

これまで、自衛隊の存在が合憲であるとされてきたのは、憲法第9条は自衛のための武力行使まで禁じていないからという理由であった。それが、「専守防衛」という「たが」をはずせば、なんでも「自衛」と強弁できてしまう。

90年前、日本と戦った中国は、戦闘を中国内に限定したから、自衛のための戦争と見なされたのである。日本軍に民間人も含めて中国人が殺されたから、日本軍を追い出すための反撃が自衛だと見なされたのである。

今、ウクライナ軍がウクライナに侵攻してきたロシア軍と戦っているから、ウクライナ軍の戦いは自衛のためと見なされ、支援の声が世界に広がっているのである。

今回のウクライナ侵攻から何も学ばずに、軍事面だけを見て敵基地攻撃能力が必要だ、射程距離が900~1500kmのミサイルをもとうとする、自民党や昭和維新の会は何を考えているのだろう。あきらかに、「専守防衛」の枠を超えている。

そんなことをすれば、日本は「国際紛争を解決する手段として」戦っていると見なされるだろう。世界は、日本がアメリカのもとに戦ったからといって、自衛の戦いとみなさい。アメリカ政府だってこれまでロクなことをしていないことを、世界は知っているからだ。