私はNPOで子どもたちの作品を集めて「文芸誌」をだしつづけて5年目になる。文芸誌と名付けたが、イラストや工作や積み木の写真が圧倒的に多い。私は子どもの意思を尊重する立場から、投稿されたものを、タイトルを含めて、そのまま載せることにしている。大人が作品に手を加えるのに反対である。
3日前、来月に発行する文芸誌を編集していたら、「せんとうき」というタイトルのレゴ作品の写真があるのに気づいた。放デーサービス利用の小2の男の子の作品だ。いつも部屋の片隅で一人で正座して、レゴを組み立ている。寡黙の子である。迎えに父親に誇らしげにレゴ作品を見せている。
それまで、彼が宇宙探検隊を組み立てていると私は思っていた。だから、驚いた。同僚にこの話をしたら、「ウクライナ侵攻」の影響ではないか、という返事が返ってきた。しかし、ウクライナ侵攻のテレビ報道では戦闘機がでてこない。
彼の過去の作品を調べると、「にゃんこ大戦争のたたかい」とのタイトルのイラストがみつかった。ウクライナ侵攻の前から、「せんそう」がエンターテインメントなのである。
自分の子ども時代を思い出してみると、彼ぐらいの年頃のとき、島の地下全体が要塞になっていて、敵の戦闘機を打ち落とすイラストを描いていたような気がする。少年誌の影響である。当時の少年誌には、小松崎茂のリアリスティックな絵つきの戦争ものや、横山光輝の秘密基地の戦争マンガがのっていた。敵国がアメリカでなければ戦争ものが少年誌にのっても良かったのである。それが、アメリカに従属していた日本の自由であった。
さらに、町のパチンコ屋では軍艦マーチが流れていた。映画でも日露戦争ものが上映されていた。ロシア(ソビエト連邦)がアメリカ公認の敵国であったからだ。
それでも、日本に「平和主義」が存在しえたのは、戦争体験者が生きていたからだ。母親からは、空襲の話や軍人が威張っていた話や町の有力者の妻たちが銃後の婦人会として威張っていて竹槍でアメリカ兵を殺す訓練をやらされた話しを聞かされた。赤紙で中国での戦争にひっぱられた父親の話は、理由もなく上司に殴られたとか、食べるものがなく、中国人の家を壊して壁に埋められていた食べ物を探したとか、であった。今から思うと、人を殺したという話しがなかった。戦闘の話は父にとって悪夢で話せなかったのだと思う。
戦争がエンターテイメントであることは、いまもかわらない。テレビでは、宇宙人を殺すことはあたりまえである。彼の上の世代は松本零士や宮崎俊のアニメを見ており、ガンダムのプラモデルを組み立てている。
いっぽうで戦争の体験者がどんどん死んでいなくなっている。リアルの戦争を知らない私の世代も後期高齢者を迎えている。
戦争をしらない親に育てられた子供が、戦争をエンターテインメントと思って大人になったとき、世の中はどうなるのだろう。
憲法第9条の改正をしたら、戦争を封印する重しがなくなるのではないだろうか。すでに、日本は相手を屈服させるために4年前に隣国に経済戦争をしかけた。経済戦争から武力戦争に拡大するリスクが増大するのではないだろうか。
このまえ、BSTBS『報道19:30』で元自衛隊幹部が「今の自衛隊は人を殺したことがないのです」と言っていた。戦争とは人を殺すこととわかっていず、アメリカ軍の指示に従って戦闘訓練をしている自衛隊の精神構造はどうなっているのだろう。上官によるいじめと、いじめによる自殺が自衛隊で起きている。
そんな自衛隊がだんだん大きな口をきくようになると、いったい何が日本に起きるのだろうか。
加藤陽子の『とめられなかった戦争』(文春文庫)の第2章に、軍部(陸軍参謀本部、海軍軍令部)で精力的に働いていたのは40歳代で、少年時代に日露戦争を少年少女雑誌で体験していた世代だとある。戦争をエンターテインメントとして受けとめ、軍人を志したのである。軍事予算は特別会計になっており、敗戦までその内訳が明らかになっていなかった。20年かけてアメリカとの戦争を準備した彼らにとって、無謀な戦争ではなかったのである。そして、彼の上の世代だけが戦争犯罪の追求をうけた。
日露戦争にあこがれた世代の軍部がそのまま戦後に生き残ったのである。