きょうの朝日新聞夕刊の『Another Note』によると、宮崎県の木城町議会の5人が、原子力発電環境整備機構(NUMO)のお金で、一昨年8月に「青森県六ケ所村や北海幌延腸町などを視察」した。そのこともあってか、翌年の9月、久保富士子氏議員が議会で最終処分場に関して質問しようとしたら、視察に出かけた甲斐政治(まさはる)議長がその質問を不許可にしたという。
ネットで調べると、昨年の9月12日の読売新聞オンラインに次のようにあった。
「(議会の三隅事務局長は)久保議員に「質問者が(調査に)賛成なら筋が通るが、反対なら筋が通らない」「町議会は一枚岩ではないと広まる可能性がある」などと発言したという。」
宮崎県の町議会では、議会での質問内容を事前にチェックし、議長が質問を不許可にすることができるのか、唖然とする話である。
朝日新聞のAnother Noteよれば、その後、久保議員が不許可の件で12月の議会で甲斐議長を批判したら、視察に行った議員らから懲罰動議が出て、久保議員を「1日間の出席停止」処分にした。そして、現在、裁判沙汰となっているという。
この事件で、朝日新聞夕刊のつけた見出し『必要な議論阻む「お金の恩恵」』に、私は気にいっている。
「核のごみ」の最終処分場は迷惑施設だが、すでに原発を動かしてきた日本にとって、必要な施設でもある。しかし、原発の最終処分場が世界のどこかで安全に稼働できているのか、どうかを、私は知らない。現在の日本の技術で安全な「最終処分場」は本当に造れるのだろうか、と私は思ってしまう。
難しいとしたら、まず原発の稼働を止めてしまうべきではないか、とも思う。お金で地方の人々をダマしてその土地を奪う前に、政府は、そのお金で安全な最終処分場の研究を真剣に進めるべきだと私は考える。
また、日本で最終処分場を作ったら、どれだけの核のごみがそこに持ち込まれるのか、誰も言ってくれない。原発が稼働しているかぎり、無限に核のごみが最終処分場に持ち込まれることになる。すなわち、最終処分場を危険な場所として封印することができない。
地下に大きな空洞を造れば、何かの拍子に崩れる可能性がある。最終処分場の埋め戻しの計画はどうなっているのだろうか。また、作業員は高レベルの放射線をだす核のごみの倉庫で毎日作業するわけだから、安全性の確保がとても難しいだろう。
政府は核のごみの廃液をガラスで固化するというが、私がカナダの大学で働いていたとき、飲み友達にその研究をしている人がいた。ガラスは結晶状態でなく、アモルファス状態だから、ウランやプルトニウムやその他の放射性物質をいくらでも溶け込ますことができるのだという。しかし、アモルファス状態のため、金属よりも容易に、溶け込ました物質は拡散してしまうという。本当は、閉じ込めは難しいとこぼしていた。
じつは、核燃料はペレット上に焼固められ、それをジルコニウム合金でつくられた燃料被覆管につめられた状態にある。それを砕いて壊して、使用済み燃料からウランやプルトニウムを取り出し、そのときに出る廃液をガラス固化するというストリーになっている。「再処理」と称して、わざわざ、使用済み核燃料棒を壊して液体状態にするから、「ガラス固化」という怪しげな処理が必要になる。「再処理」は止めるべきだろう。
どのような形で、核のごみを保管すべきか、核燃料サイクルやプルトニウム爆弾の製造能力保持という話しを撤回し、安全性という観点から、もう一度、最終処分場を日本は研究し直すべきだろう。
日本政府は、これ以上、札束で国民をダマすのではなく、真剣に安全な最終処分場の建設を研究すべきだと、私は考える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます