きのうのNHKスペシャルは、三重県・熊野灘の入り江の奥ふかくにある診療所の平谷一人医師(75歳)の、町の人々との日常を追ったドキュメンタリーだ。番組紹介に「にぎやかな診察室や、最期の時を支える往診など、いのちと向き合う日々を4年間にわたり記録。先生と町の人々との関係は、人がおだやかに“生”を全うするとはどういうことか静かに語りかけてくる」とある。
後期高齢者となった私が見ていて興味をもったのは、診療を拒否するお年寄りや食事をしなくなるお年寄りがいることだ。
平谷はこれらのお年寄りにどう対応したらよいのかわからないと言う。彼が「わからない」というのは、彼らの気持ちが分かるからだろうと思う。その気持ちとは「自分は充分生きた」ということではないか、と私は思う。
アメリカの会社には「定年」というものはない。役にたたないとして会社からクビになるか、「自分は充分働いた」と思って自分から退職するのだという。私が日本で定年になったとき、「自分は充分働いた」と思って自分から退職する気持ちが、理解できなかった。
番組では、診療を拒否するお年寄りや食事をしなくなるお年寄りは、90歳とか100歳であったが、「自分は充分生きた」という気持ちが時々浮かんでくるようになった私は76歳である。
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