新聞によると、7月27日、「佐渡島の金山」がユネスコの世界文化遺産に決まったの知らせに、新潟の佐渡市に作られたパブリックビューイング会場は沸きかえったという
私には、「佐渡島の金山」が世界文化遺産に値するという理由がわからない。また、世界産遺産に決まったことに喜ぶのもわからない。金や銀を掘るために世の地獄を味わった人々がいたのに、それを観光のタネにしてお金儲けをしようという人々には怒りさえ感じる。
文化庁はつぎの理由で世界文化遺産に推薦した。
- 「佐渡島の金山」は、世界の他の地域において採鉱等の機械化が進んだ時代に、高度な手工業による採鉱と製錬技術を継続したアジアにおける他に類を見ない事例である。
- 徳川幕府が佐渡島に管理体制と街づくりを導入し、労働体制を構築したことにより、17世紀においては、世界的に見ても高品質な金を大量に生産することが可能になった。
- これらの要素は、今の鉱山地域と集落構造に反映されている。
しかし、「高度な手工業による採鉱と製錬技術」とは何なのか、江戸幕府構築した「労働体制」とは何なのか、文化庁は明らかにしていない。ユネスコもいいかげんなところだ。
7月27日の朝日新聞『多事奏論』に田玉恵美は江戸自体の佐渡島の金山の実態をつぎのように書いている。
坑道は年々深くなり、地下水があふれ出した。その水を人力で汲み出す仕事を水替えという。江戸幕府は、無宿人狩りをして水替えの仕事にあたらせた。「10年たたぬうちに死ぬ人も多かったという」。作家の司馬遼太郎は、江戸幕府の「最大の汚点は無宿人狩りをやっては、かれらを佐渡の水替人夫におくったことである」という。
ウィキペディアには、「水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた」「小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた」とある。
佐渡島の金山に、「高度な」技術があったわけではない。ただ、奴隷労働があっただけである。
28日の朝日新聞に奇妙な記述がある。
「ユネスコの諮問機関は(中略)江戸時代だけでなく、「全体の歴史」に配慮することも求めた。」
じつは、明治になって、佐渡島の金山に西洋の採掘技術が導入され、産出量が増えたのである。江戸時代の最盛期には年間400 kg以上の金の産出があったが、1940年には年間1,500㎏の金の産出があった。したがって、佐渡島の金山を江戸時代に限定するのは、不自然である。80年前の戦時中には朝鮮人労働者が大量に動員された。募集と言う形をとっているが、鉱山にはいってからは暴力で逃亡を抑え込む体制であった。これは佐渡金山だけでなく、戦時中に日本の鉱山で一般に見られた状況である。
佐渡金山を世界遺産に推薦するのは適切かの2022年の共同通信の世論調査では、適切が73%で、「政党別でみると、自民党支持層の78.5%、日本維新の会支持層の84.6%、国民民主党支持層の75.9%が適切と回答。共産党支持層は28.0%で最も低かった」。(立憲民主党が抜け落ちているが、どうしてか、私は分からない。)
適切だとする人たちは、佐渡金山の歴史に無知なのか、それとも、文化庁の判断を妄信しているのか、いずれにしても嘆かわしい。
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