猫じじいのブログ

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きょうの朝日新聞の2つのオリンッピク反対論、星野智幸と佐藤俊樹

2021-06-12 23:20:51 | 社会時評

きょうの朝日新聞の『(ひもとく)強権IOCと五輪 巨利と政治が生む虚構の分断線』(星野智幸)も、『(インタビュー)中途半端な国、日本 社会学者・佐藤俊樹さん』も、コロナ禍で強行されていく東京オリンピックを批判している。

星野智幸は、オリンピック自体が きれいごと済まされない、問題を抱えていることを指摘している。紙の新聞の方には「巨利と政治が生む虚構の分断線」という副題がないが、星野は、まさに、これを問題としている。

私も、表彰式で国旗が掲揚され、国歌が流され、民族主義的幻想においおい泣くなんて、そんなオリンピックなんて、いらないと昔から思っている。政治家に利用され、金儲けに使われる素地をはじめからもっている。こんなオリンピックの広告塔になるスポーツ選手も情けない。無知のため利用されているのか、知っていて自分もオリンピックのうまみにあずかりたいと思っているのか、わからないが、自分が国民に勇気と希望を与えるなんて、言わないでほしい。その傲慢さも腹ただしい。

いっぽう、佐藤俊樹の日本社会への怒りも共感できる。コロナ禍にもかかわらず、なし崩し的にオリンピック開催が強行されていく日本社会への怒りである。

だいたい、日本国民は東京でのオリンピック開催に同意したことなんてもともとないのである。元東京知事の石原慎太郎が、悪事以外、何ごとも成し得なかったが、せめて、スポーツの大イベントであるオリンピックを東京にひっぱってこようか、で始まったことである。当時、誘致反対論が新聞紙上をにぎやかしていた。

国政に石原が転身したことで、当時の副知事の猪瀬直樹がオリンピック誘致を引き継いだ。そして、新知事の猪瀬と当時の首相の安倍晋三がタグを組んで、オリンピックを東京に誘致することに成功した。日本が、開催国決定の投票でお金をくばったことが、後で、フランス政府の調査で判明したが、誰の指示でお金が動いたか、曖昧なままになっている。

日本では、権力者がものごとをなし崩し的に強行していくところがある。それを佐藤が怒っている。なぜ、国民はそのことを許しているのかと。

菅義偉は、国はオリンピックを主催していないと言っている。IOCが主催するのであって、2次的には小池百合子の東京都であると言う。自分は、コロナ禍のオリンピックが安全に行われるように務めているだけであると言う。

では、怒りをだれに向ければ良いのか。しかし、私は「とにかく」怒るのが正しいと思う。国会に石を投げろ。菅に石を投げろ。小池に石を投げろ。橋下聖子に石を投げろ。丸川珠代に石を投げろ。安倍晋三に石をなげろ。デモだ。デモだ。

いっぽう、佐藤は感情に流されていけないと言う。私は人間の感情をだいじにすべきであると思う。

佐藤は言う。

《『五輪反対の世論』には2種類あると思っています。1つは、与えられた試算や研究者の意見など科学的根拠をもとに反対する世論、もう1つは、感情的な世論です。感情的に反対する人は、自分が推進する側になればインパールをやってしまいます。》

「インパールをやる」とは、1944年のイギリス領インドの都市インパール攻略を目指した「インパール作戦」のことである。この作戦は大失敗で、作戦に参加したほとんどの日本兵が退却の中で餓死や病死したのである。

「自分が推進する側になれば」は深い意味があるのか、それとも、言葉とおりにとれば良いのか分からないところがある。

この作戦を指揮したのは、「インパール作戦」に反対していた牟田口廉也である。本土の帝国陸軍大本営が「インパール作戦」を実施させるため、現地部隊の上層部を入れ替え、反対派の牟田口廉也を司令官に昇格させたのである。

このことを指すなら、「科学的根拠をもとに反対」というステレオタイプな解釈ですまないところがある。当時の軍人が組織の命令に逆らえたか、という問題がある。また、結果論から、作戦の失敗を評価している面もある。牟田口は攻略の戦闘で兵士を死なせたのではなく、攻略できないと判断して退却したのである。退却のなかで、兵士を死なせたのである。飢えからくる病死だが、退却路の中で、現地住民を襲って食料を奪はなかったのである。

作戦の失敗は、兵站の準備が原因といわれるが、食料を牛に積んで進軍したのである。実際には雨季のジャングルの中で、食料は牛ごと流され、食料を失ったのだ。もちろん、どの時点で退却するかの判断の誤りを指摘できよう。

組織に放り込まれた人間が、どのようにして合理的判断を押し通すか、まさに、人間の条件が問われるのであって、「科学的根拠」の一言ではすまされない。

自己を、合理的判断を押し通せないなら、組織に入るな。いじめに遭うだけだ。

したがって、「科学」と「感情」との対比で議論するのは、ちょっと表面的すぎないのでは、と思う。「科学」は、目標を実現するために、その成功の確率を高めるのに過ぎないが、オリンピックをするかしないかは、オリンピックが好きか嫌いかで決めてよいと思う。

「感情」は「自由意志」を導くが、「科学」は「自由意志」とは関係せず、「戦略的思考」に貢献するだけである。「戦略的思考」とは、筋道を立てて考え、準備した上で、目標を遂行することである。

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