猫じじいのブログ

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日本の基礎研究は危機、政府は研究の「選択と集中」をするな

2019-10-28 22:48:14 | 科学と技術
 
きょうの朝日新聞に、嘉幡久敬が《記者解説》『後退する基礎研究 0から1生む力、競争政策で弱まる』を書いていた。論旨は、現在の日本政府は大学などの基礎研究費を低く抑え、有用だとする研究を選択し、集中的に投資することで、かえって、日本の科学技術のレベルを引き下げているというものだ。
 
私はそのとおりだと思う。
 
大隅良典や本庶佑や吉野彰など、ノーベル賞受賞者も、毎回、記者会見で、政府に実用研究より基礎研究にお金を出すように訴えている。そして、彼らは、自分のノーベル賞の賞金をこれからの若い研究者たちを支援するための基金にした。
 
朝日新聞は、昨年の9月26日から10月6日まで、『教えて!日本の「科学力」』という特集を計8回連載した。この記事も日本の科学力を誇るものではなく、日本の科学・技術界の寒々とした実情を語るものであった。
 
特集では、日本は、2003年から2005年にかけて、重要論文数が、世界4位であったものが、10年後の今、世界9位に落ちているという。各国別の順位変動で見ると、中国だけが急に上昇しており、いっぽうで、日本だけが急激に順位を下げている。
 
これは、ひとえに、日本の政府の政策の誤りから来る。
英科学誌ネイチャーは、日本の低迷の原因を、運営費交付金が削減されて人件費が減り、若手研究者は正規雇用のチャンスが少なくなったことなどを挙げた。
 
日本が貧乏な時代のノーベル賞は、理論物理(湯川秀樹、朝永振一郎)や理論化学(福井謙一)であった。江崎玲於奈だけは例外的でソニーでトンネル効果を実験で確認した。その後、IBMの研究所に移り、エキゾチックな性質をもつ無機物固体を次々と合成した。
 
1987年のノーベル生理学・医学賞の利根川進は、アメリカに渡り研究した結果が評価された結果である。
 
2000年後、日本人のノーベル賞受賞者は急激に増えるが、基本的には海外で研究した成果が多い。日本に戻ってこない,あるいは、これない受賞者も少ない。青色ダイオードの中村修二や素粒子論の南部陽一郎はアメリカ国籍をとった。日本が豊かになったはずなのに、非常に寒々とした風景である。
 
経済的基盤が下がり、ギャンブル化した金融だけが突出している現在のアメリカに、日本の若い研究者を養ってもらうという期待を、もはや、すべきでない。日本経済は、中国に追い抜かれ、韓国に迫られている といえども、まだ、国民総生産(GDP)では世界3位である。若い研究者に研究に専念できる職を提供すべきである。さもないと、研究者を志望する若者がいなくなるだろう。
 
私は、「基礎研究」という言葉を良いと思わない。英語でいえば、Research(研究)かDevelopment(開発)かの違いが本質である。開発とは、市場を見込むことができ、技術的にも解決できる見込みがあることがらを、解決することを言う。1年で成果が問われる研究とは開発にすぎない。
 
もちろん、研究は別に大学でなくても企業でもできるべきである。企業も太っ腹になって、第二の江崎玲於奈、田中耕一、中村修二、吉野彰を育てないといけない。
 
私がIBMにいたころ、40年前になるが、「日本の企業は研究文化の破壊している」とアメリカ企業の研究者によく責められた。日本の企業は、革新的な技術の創造に投資せず、ほぼ確立した技術を寝るのも惜しんで開発しつづけて、市場で大儲けをしている、その余波で、アメリカの企業研究所が閉鎖に追い込まれている、モラルに反する、という非難である。その通りである。
 
日本政府は、市場を見込むことができ、技術的にも解決の見込みがある開発は、企業に任すべきである。開発は利益に直結するからだ。
政府は、もっと研究にお金を回すべきである。研究とは公的な仕事である。日本が貧乏というなら、「選択と集中」をするな。「選択と集中」を行うと、口がうまくて結果が見える処にお金が行く。
 
いちばんよい例は、ビックサイエンスである。ビックサイエンスにお金を出すな。2002年にノーベル物理賞をとった小柴昌俊は、昔、私ら学生にお金でノーベル賞をとれると豪語していた。大きな装置をつくって、だれもやらなかった実験をすれば、ノーベル賞がとれるという論法である。この考えは、当時、別に彼に限らず、海外では公然と語られていた。彼は、自民党や役人を説得して実行し、予定通りノーベル賞をとった。
 
私は、日本が貧乏なら、ビックサイエンスをやめて、研究者の職を安定させることに投資すべきだと思う。少なくても、研究者が食べることができ、寝るところがある生活を保障すべきである。正規雇用もされず、奨学金の返還で極貧生活を送るような環境で、1年ごとに成果が求められるのは異常であると思う。


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