人間は記憶にその行動が左右される。戦争は憎しみを生む。憎しみに人間が左右されることを私は歴史の歪みと私は呼ぶ。
きょう、BSTBSの『報道1930』がロシア大統領ウラジミール・プーチンの立場からみたウクライナへの軍事侵攻について語っていた。プーチンから見ると、ウクライナは分離主義者によって牛耳られている。自国がウクライナを使って西側から攻められる前に、ウクライナを攻めてその非武装化をはからないといけないという思い込みがあったのでは、ということが番組の主張である。
1941年6月22日、第2次世界大戦で、独ソ不可侵条約があったにもかかわらず、ドイツはソ連(ロシア)に攻め入った。当時のソ連のトップ、スターリンは、本当にドイツ軍が攻めてくるとは思っておらず、戦いの準備をしていなかった。その結果、1945年5月に、ソ連がドイツ軍を押し返し、ドイツの首都ベルリンを陥落させるまでに、ソ連は民間人を含めて2700万人の戦死者をだした。ドイツの700万人の戦死者に対してである。
プーチンがウクライナの民族主義者を「ナチス」と呼ぶのは、このソ連とドイツの戦争においてウクライナ分離主義者がナチス政権のドイツに味方したという歴史による。
プーチンからみると、1991年に、ソ連が消滅したということは、イデオロギーの問題ではなく、「西側」の陰謀によるロシアの敗北である。ソ連時代は、色々な民族を抱えていながら、「共産主義」のもとに一体感をもって人々は平和に暮らしていた。プーチンには、ソ連の崩壊に伴うロシアの混乱を立てなおしたという自負がある。また、それが、ロシアの多数の人々のもつ記憶であるという。
私が知らなかったのだが、番組は、プーチンは国家の祝日から革命記念日を排除し、戦勝記念日5月9日をロシア最大の祝日にしたといういう。毎年、戦勝記念日に無料の大コンサートが野外で行われ、人びとが祝っているのが、YouTubeで見られる。(ウィキペディアによると5月9日の軍事パレードは1995年以来である。)
また、2001年にプチーンはロシアの国歌をソ連時代の国歌の曲に戻し、歌詞だけを変えたのだという。プーチンは、2010年、この国歌が他国ウズベキスタン(?)で演奏されるのを聞いて、涙を流したという。
とにかく、プチーンが多民族国家ロシアに一体感を再びもたらしたのは事実のようだ。
ウクライナも、ロシアによるクリミア併合後、ウクライナ人としての意識を強め、西側の援助で軍事力を強化したのも事実のようだ。
歴史の歪みが強まっている。ロシア軍のウクライナ侵攻がどんな結末を迎えようとも、歴史の歪みはますます強くなるだけのように思える。この歪みの解消は、「西側」という面妖な考えを棄て去り、「自由主義国」というトンデモナイ虚構を葬り去り、「個人主義」の本来の意味に帰り、個人が国家への帰属意識を持たなくなるまで、待たないといけないのかもしれない。
それまでは、人の道に徹するしかない。
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