猫じじいのブログ

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戦争は難民を生む、国は国民を見捨てる、難民の記憶を忘れてはならない

2022-04-13 22:35:26 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

(シリア難民)

ウクライナとロシアは国境をめぐってずっと戦争をしてきた。2014年のロシアのクリミア併合の前から戦争をしていた。ただ、ウクライナ内のウクライナ軍とロシア派との戦いという建前だったが、今年の2月24日からロシア軍が前面に出てきてウクライナとロシアの戦争になっている。ロシアは、ウクライナ内の占領地域を拡大する戦いを行っており、じっさい、ロシアの占領地域がこの2か月で拡大している。

きょう、90歳の五木寛之のインタビュー記事『「難民」の時代』が朝日新聞にのっていた。

五木寛之は北朝鮮の平壌からの引揚者であるという。

「敗戦の時に、日本政府は、外地にいた650万人もの軍人や居留民が帰ってきては食料問題などもあって大変だと考えたんでしょうが、『居留民はできるだけ現地にいろ、帰ってくるな』という方針を打ち出していたのです。それを知ったときには怒り心頭に発しました。」

私は「現地にいろ」が政府の施策とは知らなかった。怒って当然だと思う。

日本の全国各地がアメリカ軍に空襲を受け、町が焼けて廃墟と化した。そして、たくさんの人が死んだ。しかし、日本政府は、敗戦にもかかわらず、無傷で連続に続いたのである。敗戦までは、政府は天皇に仕え、敗戦後は占領軍に仕えただけである。そして、日本政府は外地にいる居留民を見捨てたのである。

「平壌はソ連兵に占領され、母を失い、収容所での抑留生活を余儀なくされました。戦後2年目に、私たちはそこから脱北しました。妹を背負い、弟の手を引いて、徒歩で38度線を越え、南の米軍キャンプにたどり着いたのです。」

生きて帰ってこれた人たちは幸運である。

第2次世界大戦で難民が大量に出た。ヨーロッパは陸続きだから、色々な言語を話す人々がいりこんで暮らしていた。戦争は愛国主義や民族主義を煽るから、いりこんで暮らせなくなる。何百年前からポーランドに住んでいたドイツ人も歩いて、小さくなったドイツに帰らざるを得なかった。

第2次世界大戦後も、ソ連(ロシア)とアメリカの勝手のため、何度も戦争が起きて、大量の難民が生じている。帰る国がある人々は幸せである。帰る国がない人々は、やっかいものとして、どこかの国に差別されながら生きるしかない。それが難民である。

私は、シリア人難民を移民として引き受けた元ドイツ首相メルケルをいまでも尊敬する。きっと彼女は、ポーランドからドイツまで何百キロも歩いた難民の話を両親から聞いていたからであろう。

岸田政権はウクライナからの「避難民」を受け入れた。評価したい。しかし、本当は「難民」と言うべきである。彼ら彼女らがウクライナに戻れないかもしれない。一時的な「避難民」ではなく、「難民」になるかもしれない。マリウポリはロシアにきょう占領されたという。

将来、中国とアメリカが戦争すれば、日本が存続しているなら、台湾や朝鮮半島からの難民を引き受けるのが、人の道だろう。



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