あす、田中拓道の『リベラルとは何か』(中公新書)を私は図書館に返す。ひっかかるところが多かったので、2週間では読み切れなかった。ようやく、田中の主張がわかりかけたところで、最後まで読み切れず、本を返さなければならない。とても残念である。
田中は、アメリカとイギリスのリベラルの政治運動の変転を丹念に追っている。「ワークフェア競争国家」などという言葉なんぞ、私は知らなかった。この言葉は、ビル・クリントン政権やトニー・ブレア政権の政治理念を理解するに有効である。しかし、リベラルの変転は、ブルジョアジー(市民階級、中産階級、知識人)の混迷を表わすものだろう。ドナルド・トランプはリベラルのいかがわしい点を確かについている。だから、昨年、国民の半分はトランプに投票した。
福祉(ウェルフェア)は与えるものでも、与えられるものでもない。勝ち取るものである。飢え死にするわけにはいかない。凍え死ぬわけにいかない。医者にかかれずに死ぬわけにいかない。
ブルジョアジーの立場に立つから、ウェルフェアからワークフェアへの転換という発想が生まれる。ビル・クリントンやトニー・ブレアは賢すぎたから、中産階級の立場から政治を考えるようになったのであろう。
先日、白井聡が朝日新聞のインタビューでつぎのように答えている。
〈マルクスは資本を、価値を増殖していく運動、つまりお金もうけの運動だと定義する〉
別の表現では、「飽くなき利殖」となるのではないか。ビジネスをつぎつぎと拡大しないと競争から敗退し、市場から追放されるという恐れに取りつかれた強迫症と言ってもよい。
田中は、ネオ・リベラリズムが推し進めたグローバリズムが、「ワークフェア競争国家」を生んだと指摘する。
マルクスが指摘したビジネス拡大競争は生産手段の飽くなき発展だった。しかし、現実は、そんなことは継続不可能だと思う。本当に画期的な発明はそんなに起こらない。
私の現役時代、情報産業では “dog year”という言葉がはやった。これまで5倍の速さで情報産業が進歩するという意味である。そんなことが起こらなかった。みんなが自己宣伝がうまくなって、大ほらをふくようになっただけだ。技術革新はない。詐欺にいそしむ新規IT会社がたくさん生まれただけだ。
そういう観点からすると、中国の通信機器大手ファーウェイはまともな会社で、米中経済戦争に巻き込まれたことを悲しむ。
本来、グローバリズムは文化・思想において起きるべきなのに、資本の自由化、海外進出という形で起きた。最新の機械を設置するという競争を国内でやるより、労働力の安い海外に新規工場を作ったほうが、「飽くなき利殖」のために簡単である。場合によって、最新の機械を設置しなくても、労働力の安さのために海外で生産した方が得する。
トランプがアメリカ・ファーストを叫んだのは正しいのだ。資本の海外転出は止められるなら止めるべきだ。「ワークフェア競争国家」におちいるより、ずっとマシである。
中道左派とか中産階級の増加とか国益とか進歩とかはオカシイのだ。進歩も競争もはいらない。働かないという自由、働けないという現実を認めないといけない。
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