新聞の書評を読み、カズオ・イシグロの『失われた巨人』(ハヤカワepi文庫)を図書館から私は借りた。それを読み通すのに2日以上かかった。
私の妻は、昔、単行本で最初の数十ページを読み、お面白くないので読むのをやめたと言う。その単行本が今どこにあるのか、あるいは、買ったのかの記憶も定かでないと妻は言う。たしかに、ウィキペデイアで調べると、本書は批評家の受けが良くない。
『失われた巨人』は5世紀のイギリスのブリトン人とサクソン人との抗争と殺戮の記憶を扱っている。ブリトン人の老夫婦の愛の絆とともに、鬼・妖精・雌竜・雄牛のような犬などの伝承を利用しているために、日本人にはリアリティがない。鬼・妖精・雌竜の怖い記憶が日本人にない。もしかしたら日本語訳が良くないのかもしれない。本当は原書を読んで確認する必要がある。
『失われた巨人』は9年前に日本語に翻訳されたので、考えてみれば、なぜ今頃、私が新聞で書評を見たのか、不思議な気がする。その書評をいま再確認できないので、「新聞」で読んだというのは私の記憶違いかもしれない。
そう、『失われた巨人』は失われた記憶を取りもどすことをテーマにしている。雌竜がブリテン島の住民から記憶を奪っている。そして、雌竜を殺すことが、ブリトン人のアーサー王が、ブリトン人とサクソン人との共存の協定を破り、赤ん坊、女、老人の差別なくサクソン人を殺しまくった記憶を思い出させることになる。
記憶は良い記憶だけでない。雌龍を殺すことになるサクソン人の戦士は「たとえ救出には遅すぎたとしても、復讐には十分に間に合う」と語る。そして、サクソン人の復讐が始まる。
パレスチナの地のアラブ人とユダヤ人との抗争も、もともとはなかった。19世紀の末に、ポーランドやウクライナから新たなユダヤ人が流れ込んでくるまでは、少数派のユダヤ人はアラブ人のなかで平和に生活していた。アラブ人もユダヤ人も東セム語圏に属する。
シオニストと呼ばれるユダヤ人は、ポーランドやウクライナで周りの住民に襲われるという憎しみの記憶をもってパレスチナの地に移ってきたのである。そして、1948年にパレスチナのアラブ人を襲撃してイスラエルを建国した。襲撃され避難民となったアラブ人をパレスチナ人と呼ぶ。襲撃したユダヤ人をシオニストと呼ぶ。
『中東から世界が崩れる』を書いた政治学者の高橋和夫は、パレスチナ問題は宗教問題ではない、「土地抗争」であるという。シオニストは、約2600年前に自分たちの国があったからと言って、すでに住んでいたパレスチナ人から武力で土地を奪ったのである。
考えてみれば、この地球は本来誰の土地でもないのに、人類はこの間、自分の土地だと言って、人間が人間を殺し、誰かの土地を奪ってきたのである。奪われ殺された側も「復讐には十分に間に合う」と思って、常に機会をうかがっている。奪って殺した側は、復讐されるのではという不安のなかで、軍事力を増強するだけでなく、奪われ殺された側のリーダーを事前に暗殺する。それでも、安心できないと、女子供老人の見境なく、復讐する側を抹殺する。
それが、いま、イスラエル人がパレスチナ人にしていることである。
『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』(講談社選書)を書いた鶴見太郎は、先日の朝日新聞に、シオニストが100年をかけて育った憎しみは、これから100年かけないと消えないと書いていた。
それにしても、イスラエルの指導者は狂っている。ヨーロッパがユダヤ人に植え付けた恨みを、弱者のアラブ人に向け、奪って殺す側になっている。しかも、イスラエルの軍事力はアメリカやヨーロッパから与えられたものである。30年前までは、社会主義から中東の石油やスエズ運河を守るという名目で、この30年間はキリスト教の欧米文化をイスラム教から守るという名目で、軍事援助を受けている。
アメリカが軍事援助を止めないと、復讐されるという不安のなかで、イスラエルはガザ、ヨルダン川西岸、レバノンのパレスチナ人を全員殺すという方向に進む。記憶だけを消すのではなく、記憶を持つ民族自体を抹殺しようとする。
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