猫じじいのブログ

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核抑止論は破綻している? そもそも「核の傘」は対米従属派のウソ?

2023-08-16 11:31:04 | 戦争を考える

「核抑止論」とは何を言うのであろうか。抑止とは、誰が何を抑止するのだろうか。昨年のウクライナ軍事侵攻以来、私は「核抑止論」に大きな疑問をもっている。「核抑止」は戦争を抑止できないのである。

広島市長松井一實も、今年8月6日に広島の平和宣言で、「核抑止論が破綻している」と述べた。

「(核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンで)各国は、核兵器が存在する限りにおいて、それを防衛目的に役立てるべきであるとの前提で安全保障政策をとっているとの考えが示されました。しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。」

「核による威嚇を行う為政者」とはウラジーミル・プーチンのことである。

ウィキペディアによれば、「核抑止」とは、二国間関係において核兵器の使用がためらわれる状況をつくり、核戦争を避けるという考えだと言う。二国間とは、1990年以前はアメリカとソ連であり、それ以降は、アメリカとロシア、または、アメリカと中国である。

ところが、日本では、「核抑止」を「核の傘」と同意語しても使われている。アメリカの核によって日本の安全が保たれるという考えである。松井市長はどちらの意味で使ったのであろうか。両方とも破綻していると言いたかったのだろうか。

ここでは、ちょっと古いが、日本政府の防衛省防衛研究所の論文『冷戦後の核兵器国の核戦略』(2000 年6月)にもとづいて議論してみたい。

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日本で言われる「核の傘」とは、東西陣営に分かれて対立していた時代、アメリカ政府が、自分の陣営に属する国が東陣営の国との間に起きた武力紛争において、地上戦力の差を埋めるために、核兵器で先制攻撃すると言ったことに、もとづくと思われる。防衛研究所の論文は、このドクトリンが いまなお 公式には否定されていないので、いまも有効としている。しかし、本来の「核抑止論」と矛盾するので、これまで、東西陣営の間の地域武力紛争でじっさいに核兵器が使用されたことはない。

したがって、「核の傘」は、アメリカの核兵器保有を認めた日本政府への、日本国民の反発を和らげるためのウソにすぎない。日本を守るためにアメリカが核を使うことは「核抑止」ドクトリンからいってありえない。

バイデン大統領は日本政府に軍事予算を2倍にするよう働きかけたと地元の選挙民に語った。この発言は、のちに、岸田文雄の方から軍事予算を2倍にするよう申し出があり、それにバイデンが感謝したと訂正された。しかし、一貫しているのは、日本のためにアメリカ兵の血を流したくない、核戦争を始めたくない、というアメリカ政府の姿勢である。

これは、現在のウクライナでのアメリカ政府の態度と同じである。

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論文は、アメリカ政府の核戦略の基幹をなす核抑止戦略は、攻撃戦力に基づく「懲罰的抑止」と防御能力に基づく「拒否的抑止」の狭間で揺れ動いてきたという。ここでは、核抑止とは、アメリカの地に核爆弾が降り注ぐことを避けるということである。したがって、防御能力による「拒否的抑止」とは、敵国の核爆撃機や核ミサイルを打ち落とすことになる。攻撃戦力に基づく「懲罰的抑止」とは、「核報復能力」のことを言う。

自民党や維新のいう「敵基地攻撃能力」は「懲罰的抑止」にも「拒否的抑止」にも当てはまらない。彼らの唱える「やられる前にやってしまえ」というのは、アメリカ政府の核抑止戦略にはない。

「拒否的抑止」の難点はお金がかかるし、完全に抑止できるとの技術的保証がない。「懲罰的抑止」は、どこまでの範囲を報復攻撃をすれば良いのか、という問題が生じる。報復攻撃で生き残った所から、報復に対する報復がなされるリスクがあるから、相手をせん滅する必要性が生じる。「懲罰的抑止」も思いのほか、お金がかかるのである。東西陣営に分かれて対立していた冷戦時代、攻撃戦力、防御能力が東西陣営の間の均衡を保つということで、軍事費を抑えてきた。それが、ソ連のほうが、先に軍事費の重さにネを上げて、核軍縮に至った。

ソ連が解体した後、ロシアがガスや石油をヨーロッパ諸国に売ることで、ロシアが経済的余裕をもった。これが、現在、核軍縮が止まっている理由である。

報復攻撃を前提とする「懲罰的抑止」の難点は、核報復で善人も悪人も、民間人も軍人も皆殺しにするので、核保有国の両政府が理性的であることを前提にしているのことだ。また、相手の核攻撃があれば、即座に反撃するためには、核兵器と運搬手段が常に臨戦態勢になければならない。このため、誤って核反撃する危険をどうやって防ぐのかという問題も生じる。

論文は、また、つぎの倫理的問題を指摘する。

「報復的抑止を別の言い方で表現するならば、殺人という罪を防止するために、殺人を犯す可能性のある人物の子供を人質にとり、殺害することを公の政策として宣言することと大差がない」。

さらに、論文は人間の本能に逆らう側面があると指摘する。

「互いに相手の報復能力を保証し合う抑止態勢を維持し続けることは、頭上の脅威を所与のものとして受容し続けることを意味する。換言すれば、米ソ両国民は、共に「自己の安全を専ら相手の理性的判断に委ねざるを得ない」という報復抑止の特質から生じる恐怖とフラストレーションに耐え続けることを強いている」。

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核抑止論は以上のようにいずれの意味でも破綻している。



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