猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

かなわない恋と許されない恋、30代の女性が高3の男の子に恋をした

2022-10-16 23:28:32 | こころ

きのうの朝日新聞の『悩みのるつぼ』に、個別指導塾の30代の女性が1対1の授業を担当する高3の男の子に恋をしたという相談がのった。回答者は姜尚中であった。回答者を指定できるはずで、本当は上野千鶴子が適切でないか、と私は思う。

姜尚中は真摯に答えているのだが、こういう相談に応じるのは私なら嫌である。

第1に、相談はウソかもしれない。回答者をからかっているのかもしれない。

第2に、これは、どうしたいかをまず自分で決めることである。決めたうえでなければ誰も助言できない。このままだと、上野なら、「なんて お馬鹿さん」という視点から答えるだろう。

この相談の主は、塾で授業を担当するにもかかわらず、自分のことを、教師や講師や指導員やスタッフと言わず、塾の「社員」と言っている。この言葉使いからすると、非常に、現代的でドライな感覚である。少なくても、ドライな職場にいるのだろう。

いっぽう、自分の激しい感情を「決して許されない恋」と言っている。ここで、急に古風な考えを見せている。恋は私的な感情である。「許されない」と思う必要はない。現実的に考慮すべきは、事実が露呈したとき、男の子の親や塾の経営者が、どう思い、どう行動するか、である。この対策を練っておくべきである。

しかし、それ以前に、この相談では、男の子が30代の自分のことをどう思っているかが、明らかでない。相談主は「決してかなわない恋」と言っている。「かなわない」というのは、男の子が自分を愛してくれないということなのか、それとも、社会的な偏見のために結婚が許されないというのか、判然としない。

「私は純粋に彼が好きです」「彼のかわいさは私にとって特別です」「彼といるとき感じる幸せは本物だと確信します」「彼の笑顔を一生見ていられたらいいのにと思ってしまいます」

姜尚中の言うように、「恋せる」ということ自体が、祝福されるべき幸せな状態だ、と私も思う。恋は生きていく力になる。

しかし、「純粋に好きです」という意味がわからない。肉体的な関係をもたずに「彼の笑顔」を見ていたいだけなら、人生の相談にのる友達になれば良い。なまじ結婚すれば、彼の不満顔や怒る顔や泣き顔を見ることになる。

人生の相談にのる親密な友達になるなら、今のうちから、勉強以外の話しができないといけない。人生のガイド役になるのだから、自分の中身が問われる。彼にとって、自分が相談に値する人である限り、彼が塾を卒業したって、別れることはない。

そのうち、何かの拍子に肉体関係をもてるかもしれない。それはそれで いいではないか。

結局、相談の主は、「かなわない恋」だと決めつけて、「この世に自分の気持ちを理解してくれる人は誰もいない」という絶望と孤独をなぐさめて欲しいというだけのように見える。それで、上野千鶴子を回答者から避けたのかもしれない。



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