双極性障害になると、躁とうつとを繰り返す。苦しいのはうつだけでない。躁状態になると自分を止めることができなくなり、気づいたときは疲れ果てた状態の自分を見いだし、一気にうつに落ち込む。
5,6年前に、放課後デイサービス利用の親との面談で、自分の凄惨な双極性障害の体験を書いた本をもらい、私は、双極性障害というものの苦しみをはじめて理解した。そして2,3年前から、私の担当のうつの子(20歳すぎ)も双極性障害を示すようになった。幸いに、どちらも、双極性障害の症状が、薬でコントロールできている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
斎藤環と与那覇潤は『心を病んだらいけないの?』(新潮選書)で、「あきらめ」が人間になるために必要であると語っている。私は必要とは思わないが、双極性障害を体験している彼らがそう思うのも無理もないとも思う。
与那覇〈1998年の『社会的引きこもり』ではひきこもり脱却のカギとして、適度なあきらめが大事だと書かれていますよね。〉
斎藤〈自己肯定感を伴う適切なレベルのあきらめが回復には必要なんです。〉
ここまでは、「あ、そう」とも言える。
ところが、ふたりは戦後民主主義や日教組や岩波書店や朝日新聞の非難をしはじめる。
与那覇〈戦後日本は政治的には自民党の家父長主義が主流で、しかし文化的にはある時期まで圧倒的に左派が優位でした。岩波書店や朝日新聞が権威を持ち、学校の教員にも熱心な左翼活動家が多かった。結果として「お前らはその程度だ、あきらめろ」「いや、あきらめるな」と二重の声が聞こえてくる、ダブルバインド的な状況に日本人が置かれてきた〉
斎藤〈「社会的ひきこもり」で指摘したのは、ある意味身でダブルスタンダードの問題で、口では「無限の可能性」を言いながら一方で「協調第一主義」によって支配する教育が強すぎた〉
こうなると、私はほっと置くわけにいかない。私は戦後生まれである。その私より彼らはずっと若い。斎藤は14歳若い。与那覇は22歳若い。彼らが戦後民主主義がどんなものかわかっていない。彼らが初等教育を受けたときは、日教組はすでに日本政府の前に政治的には負けている。また、岩波書店や朝日新聞が偏向していて「去勢」を否認させたと思えない。
だいたい、あきらめることが成熟にそんなにだいじなのか。それよりも、自分の「好き」をだいじにして、ちょっとした障害にくじけず、成長し続けることではないか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
斎藤環はもともとオカシイ。斎藤環は『社会的ひきこもり―終わらない思春期』(PHP新書)では、つぎのように書いている。
〈精神分析において「ペニス」は「万能であること」の象徴とされます。しかし子どもは、成長とともに、さまざまな他人との関りを通じて、「自分が万能ではないこと」を受け入れなければなりません。この「万能であることをあきらめる」と言うことを、精神分析家は「去勢」と呼ぶのです。〉
「万能感」で突っ走ることは、普通ではありえなく、病的な躁状態である。「万能感」をあきらめることで、普通は悩みを解決できない。
引きこもりの子の多くは劣等感で悩んでおり、周囲に「承認」を求めている。引きこもることで、イジメられなくなっているにかかわらず、自分が肯定できず、苦しんでいる。
私は、彼らを承認するようにしている。周りが「あなたは悪くない、そのままでいいのだよ」と承認することがだいじだと考える。
つづけて斎藤環は書く。
〈(学校には)明らかに二面性があります。「平等」「多数決」「個性」が重視される「均質化」の局面と、「内申書」と「偏差値」が重視される「差異化」の局面です。子どもはあらゆる意味で集団として均質化され、その均質性を前提として差異化がなされます。〉
「個性」の重視が「均質化」でないことは明らかであろう。「平等」は、宇野重規が言うように「民主主義」の基本であり、すべての人が対等であることだ。「平等」と「均質化」とはむすびつかない。「多数決」は確かに多数が少数を抑圧するという側面があるが、政治的決着の便宜的なつけ方で、これが本当に正しいとするのは自民党ぐらいではないだろうか。
「偏差値」は、単一の価値基準のもとの競争結果の評価手段である。「個性」を重視するなら、単一の価値基準はあるはずがなく、「偏差値」もありえない。いわゆる知能テストのIQも偏差値であり、そんなものでお金を得る業者は社会から駆除すべきだと日ごろから私は思っている。
「均質化」「差異化」は自民党政権がもたらした弊害であり、そのことで、左翼や日教組や岩波書店や朝日新聞が責められるいわれがない。
はっきり言おう。斎藤も与那覇も頭がいかれている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
左翼とはあらゆる権威、人が人を支配することを拒否することである。私が子ども時代、日本の敗戦によって、あらゆる権威が崩れ、自由がいっぱいあった。60年代の終わりの学生の反乱は、戦後が終わりを迎え、自由が狭まったことに対する反抗であった。それは、当時、日本だけでなく、全世界の若者が思ったことである。
[関連ブログ]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます