いわゆるADHDや「発達障害」と言っているものに、程度の大きな差がある。
大人になってADHDや「発達障害」と診断されるものは、子ども時代には気づかなかったのだから、たいしたことはなく、「正常な範囲」の揺らぎと言ってよい。すなわち、個性である。したがって、社会のほうが、その揺らぎに寛容であれば、何の問題も起きない。
集団行動なんて軍国主義の名残で、不必要である。女性だからといって、家事・育児・賃金労働をすべてこなすなんて、はじめから無理である。やりたいことだけやればよい。嫌なことはしない。そういう社会であれば、大人のADHD、大人の発達障害は「病気」でなくなる。それで浮いた医療資源を重い「発達障害」に注ぐべきである。
ところが、あいかわらず、大人のADHD、大人の発達障害の診断や体験記が流行している。
この流行に、水をさすため、あえて、4年前のブログを4件ここで再録する。それは、岩波明の『発達障害』(文春新書)を読んで、納得できなかった点を私が書いたものである。
私は、岩波明が「発達障害者」を真摯に助けようとしていると思っている。したがって、彼個人への批判としてではなく、4年前の精神医学界の通念に対する不服申し立てとして読んで欲しい。
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