猫じじいのブログ

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トーマス・レーマーの『ヤバい神』(1996年)をいま日本で出版する意義

2022-07-18 00:21:58 | 宗教

きのうの朝日新聞読書面にトーマス・レーマーの『ヤバい神 不都合な記事による旧約聖書入門』の柄谷行人による紹介がのっていた。原著は1996年のフランス語版の"Dieu obscur : Le sexe, la cruauté et la violence dans l’Ancien Testament“で、柄谷は、「わかりにくい神」の意味の”Dieu obscur“を日本語版で「ヤバい神」と訳したのは適確だと思うと書いていた。推測するに、「わかりにくい」は社会的反発を避けるための著者の遠慮で、本当は「ヤバい神」が著者の本音だというのが柄谷の読後感であろう。

ただ、旧約聖書のもとになるヘブライ語聖書は、現代人の感覚の宗教書というより、ユダヤ人コミュニティが歴史的にいかに古いかを示す聖なる書物と考えるべきである。メソポタミアやエジプトは幾多の民族の興亡があった。国を失った民にとって、古い歴史をもつことを示す書物をもつことは、コミュニティの存続のために重要である。したがって、人はどう生きるべきかを道徳的観点から述べる現代の宗教書や自己啓発書と比較して、批判するのはいささか酷だと私は思う。

当時は、文字を読める人はある程度裕福な人に限られており、中身より量が一般の人を圧倒したと思われる。それでなんでもかんでも集めたので、聖書が全体としての整合性はまったくなくなったのは当然である。現在の書物というより、ヘブライ語聖書を「持ち歩き出来る図書館」と考えたほうが良いと思う。

ヘブライ語聖書の『創世記』は天と地に始まりがあるとするが、『コヘレトの言葉』は「すでにあったことはこれからもあり、すでに行われたことはこれからも行われる。太陽の下、新しいことは何一つない」と、始まりのない世界を主張する。『創世記』『出エジプト記』の神は専制君主の似姿である。『ヨブ記』は神の義を疑う。

しかし、いっぽうで、本書のような聖書批判が重要なのは、現代のトンデモナイ自己啓発本や宗教本が、その権威を旧約聖書や新約聖書に求めているからである。統一教会の原理講もそうである。聖書に限らす仏典もふくめて、権威を昔の書物に求めるような自己啓発本や宗教本は、インチキだと思った方が良い。昔の書物の価値は、古代人の精神構造や社会構造を知り、現代人の精神構造や社会構造を相対化し批判することにある、と、私は思う。

また、日本語のタイトル『ヤバい神 不都合な記事による旧約聖書入門』の「旧約聖書入門」も不適切である。英語翻訳版“Dark God: Cruelty, Sex, and Violence in the Old Testament”のように、現代に沿ったタイトルが適当だったと思う。



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