きょう、たまたま かかっていた、TBSの『サンディ・ジャポン』に、太田光、有田芳生、ひろゆき、ディープがでていた。太田が統一教会の信者が不当なバッシングを受け、脱会を迫られていると言うのに対して、有田が「自分の知っている信者さんは いい人ばかりだ」と言って太田の興奮をいさめようとした。太田のマ インドコントロールを解こうとしたのだと思うが、有田の「いい人」という言葉に引っかかった。
突発的な犯罪が起きたとき、近所の人が、「いつも挨拶をし、おとなしそうで いい人なのに」と言うことが多い。一般に、「いい人」という語にこめられる意味が 曖昧である。
「いい人」とは、慈善活動をする人のことなのか、それとも、相手に丁寧に対応する人なのか、それとも、社会の決まりに従順な人なのか、それとも、無知な人なのか。
本当に 「いい人」なら、宗教団体より前に、政治理念をもって社会を良くしようと思っている政党が、「いい人」をリクルートすべきではないかと思う。
宗教の信者になるのは、親が熱心な信者で子どものときから教えを受けていたか、そうでなければ、非常に困っているとき、たまたま、宗教団体の信者や布教者に優しくされたか、そうでなければ、人のために役立ちたいと思っていたからだ、と思う。
社会を良くしようと思っている政党が、困っている人をほっといていいのか、と思う。ほっとおかなければ、困っている人がインチキ宗教に引っかからずに済む。
また、人のために役立ちたいと思っている人が、社会を良くしたい政党にはいることは、とても良い話しだと思う。
新入生を原理研に任しておくよりも、大学構内の政治活動をおおやけにした方が良いのではないか。統一教会や創価学会の信者ばかりが選挙のボランティア活動をしている現状にとても違和感を覚える。アメリカでは、民主党や共和党の選挙活動に大学生がボランティアとして参加している。
中学、高校で、人権とか三権分立とか選挙とかを教えているが、政党活動を社会にとっていかに大事なことかも教えるべきである。教師や生徒の政治活動を公認すべきである。
政党活動がおおやけになれば、自民党のうらに日本会議や統一教会や経団連がいるとか、公明党のうらに創価学会がいるとか、がなくなるだろう。政党が他の団体に操られているのは、民主主義国として不健全なことである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます