安倍晋三を統一教会の被害者が殺したおかげでに、統一教会が名前を変えて日本の社会にくいこんでいることが明らかになりつつある。
名前を変えただけで、韓国で生まれた反共の新宗教団体であることが変わらない。したがって、ここでは、「旧統一教会」と言わず、「統一教会」と呼ぶことにする。
統一教会が日本の信者に要求する献金が異常に大きい。限りなく献金を要求する。教義的には信者が自分のお金をもたないということからきているらしい。しかし、普通は、自分のお金をもたないということは、みんなでお金を共有するということで、自分が生活するに必要なお金に困らないはずである。ところが、お金は韓国の本部に送金されて、信者たちはお金を共有していない。その点が、日本で生まれた新宗教団体のオウムと異なる。オウムの場合は、土地を購入し共同生活をしていた。
統一教会が日本の信者に法外な献金を要求できたのは、信者が悪行を起こして地獄に陥っていると思いこませることのようだ。献金をして自分のお金をもたないようになることが、地獄から脱出できる唯一の方法と信じ込ませるようだ。
これは、極端な自己否定である。私は、人間がこんな極端な自己否定をして生きていけるのかが不思議に思ったが、じっさいは、そうでもないから困る。安倍晋三を殺した犯人の母親は、献金で自分自身が破産するだけでなく、まわりの人間を絶望に追いやり、自殺させたり、殺人者にしたりしている。異常な献金をすることで、極端な自己否定が快感になっている。
☆ ☆ ☆ ☆
新約聖書の『使徒行伝(使徒言行録)』にも異常な献金の話が出てくる。イエスが死んだあと、使徒ペテロのもとに、初期教会、信者の共同体ができた。
〈 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。〉
(4章32節-34節 新共同訳)
注意深い読者はこれを読んで、「お金を共有しても、土地や家を売ってしまえば、共同体の存続は、献金だけにたより、持続不可能になる」となると思うだろう。古代において、土地こそがだいじな生産手段である。のちに出てくる修道院などは、土地を所有し耕すことで、持続していけたのである。
『使徒行伝』の5章で、その共同体に血なまぐさい事件が起きる。
〈 ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。〉
(5章1節-5節 新共同訳)
このあと、アナニアの妻もペトロに責められて死ぬのである。たぶん、ふたりとも殺されたのであろう。
『使徒行伝』を続けて読むと、このあと、ペテロは教会から放り出され、教会は霊を共有するために集うところに変わり、信者は教会の外に生活の場をもち続けるようになる。
☆ ☆ ☆ ☆
統一教会も、日本の信者にすべてを献金させ、再分配しないというのは、意図的に信者に過酷な環境に置くことに等しい。幹部は日本の信者を罰しているのだ。
しかし、不思議なのは、もう韓国に「戦前の日本の悪行を謝らないぞ」と言っていた安倍晋三が、統一教会に帰依していたことだ。祖父の岸信介の場合は、統一教会の反共の教義が利用可能だと考えたと思う。安倍の場合の1つの合理的説明は、安倍が統一教会から特別待遇を受けていて、統一教会の教義の異常さに気づかなかったのであろうか。
統一教会と自民党やメディアとの結びつきが暴かれることをのぞむ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます