猫じじいのブログ

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自由とは何か、企画展「表現の不自由展・その後」

2019-08-13 23:09:12 | 自由を考える

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」をきっかけに、いま一度、「自由」とは何かを確認したい。

王党派のトマス・ホッブズも民主派のジョン・スチュアート・ミルも、「自由(liberty)」を「思うままに、邪魔されずに、行動できること」と定義している。

「自由」とは、人の自然な欲求である。民主制では、すべての人に、この「自由」を追い求める権利があると考える。だから、「表現の自由」とは、芸術家に限定されるのでなく、すべての人にあるのである。

日本政府が戦争で慰安婦制度を設けたことを、誰でもが、批判して良いのである。昭和天皇が戦争の開始を承認したことを、誰でもが、批判して良いのである。そして、怒りを言葉にしたり、絵画や映像や造形物にしたりして、良いのである。
「歴史は苛烈なものです」「歴史を善悪の二元論でかたづけることができないのです」という安倍晋三を政治の舞台から追放だと述べても良いのである。

「表現」とは、英語の“expressing”の訳であって、心のなかで思っているだけでなく、みんなに向かって「おおやけに」のべたり、しめしたりすることである。

企画展「表現の不自由展・その後」について、8月3日に池田信夫は「表現の自由は憲法に定める基本的人権であり、作品を不快だと思う人がいたとしても、公権力で展示を禁止してはならない」とネットに書いたが、これは間違いではないが、精確ではない。憲法は、「公権力」でなくても、誰かが脅迫などの暴力で、展示会を中止に追い込んではいけない、と言っているのだ。

ミルは、民主制の社会では、国家権力による自由の侵害よりも、多数派による少数派の自由の侵害に警戒しないといけない、と『自由論』(光文社古典新訳文庫)で述べている。

日本国の憲法は、「自由」の具体例を列挙した6つの条項と、「自由」の一般論に関してのべている3つの条項とからなる。

先に具体例の列挙をみる。

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第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第23条 学問の自由は、これを保障する。

第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
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ほかの憲法の人権の条項には、「国民」という限定詞がついているが、この6つの条項には、この限定詞がない。人であれば、在日韓国人であろうと、中国人であろうと、ベトナム人であろうと、これらの権利があるのだ。

また、第21条では「その他一切の表現の自由」とあるから、「表現の自由」の範囲は広いのだ。しかも、「保障する」とあるから、人が思うままに「おおやけに」のべたり、しめしたりする自由を、右翼などの妨害から、国は守らないといけないのだ。

もっと面白いのは、第22条と第31条以外、自由を認めない限定条件がつけられていないのだ。

残りの条項は、「自由」についての一般論である。上から目線のお説教であり、憲法前文に置くべきだと思う。さらに、「公共の福祉」という言葉は、意味があいまいであり、憲法から削除すべきである、と考える。

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第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
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これら3つの条項は、ただの「お説教」であるが、いっぽうで、憲法はただの「言葉」にすぎず、どのような解釈もつけられる、という事実を教えている。民主制では、みんなが「自由」とは何であるか、学校教育に騙されず、真剣に考え、「表現の自由」を使いこなし、「表現の自由」を守らないといけない。


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