きょうの朝日新聞に、性教育の重要性を訴えるインタビュー記事『人生のための性教育』がのっていた。語るのは助産師の桜井裕子である。
彼女は「性についての情報は、学校で子どもたちがみんなで学ぶことが必要」と考える。性について伝えることをタブー視していると、子どもたちが「SNSやアダルトビデオ」で危険な偏見を持つことになりかねないと言う。
彼女は「体の仕組み、ネット情報の見方、水着で隠れる場所と口は大切な『プライべートゾーン』であること、性暴力、性的同意、妊娠、避妊、性の多様性なと様々な話をします。年齢に合わせた形で伝えています」と言う。
ところが、「学習指導要領には学習内容を制限する『はどめ規定』と呼ばれる規定があり、1998年の改定で『妊娠の経過は取り扱わない』と明記されました」と言う。この「妊娠の経緯」が何を意味するのか、すぐには、私はわからなかったが、「性交」や「避妊」などのことで、それらを話すなと言うことであった。
それだけではない。2003年に東京都の養護学校の生徒同士が性交をした事件が起きたので、教員が知的障害者向けの独自の性教育プログラムを作ったところ、「都議会議員が『不適切』と批判、教育委員会が校長や教員を降格や厳重処分にしました」という。「以降、性教育のが一気に委縮した。私もある学校で校長から『バッシングされたらどう責任をとるのか』と性交の話を避けるよう言われました」と言う。
本来、都教育委員会は都議と「性教育」のあり方について議論をし、「性交」を避けた性教育はマンガやSNSやアダルトビデオになんの対抗もできない、と答えるべきである。
私は、約1年ほど前、ブログ「『(耕論)再考、共学と別学』で言及されない本当の問題」で性の問題を論じたが、性教育は(1)男女の文化的社会的違い、(2)男女の生物的性の違い、(3)性交などの性的行為をバランスをとって扱わないといけないと思っている。
彼女は言う。「健康、パートナーとの関係、出産。性に関することは、その人の人生そのものです。性教育は、子どもに正しい情報を伝え、自分で選んで行動するためのもの。」
私もそう思う。性交とは本来喜びを伴うもので、人の生きる原動力を生むものでなければならない。性には人と人を結びつける力がある。性は喜びに満ちたものであるはずだ。
性交は汚いものであるなら、子どもを持つことは恥になる。そんなことはない。また、子どもを持つためにだけ成功するのではない。18歳未満の女性と性交したら犯罪で、それ以上なら犯罪でないとか言うのも、見当違いである。妻以外の女性と性交したら一律に道徳に反するというのも、愚かしい。性交への偏見を政争に使うのも見苦しい。最近の岸田派吉川議員事件もハニートラップではないかと思う。
[補足]
吉川議員事件が6月15日のTBS『ひるおび!』に取り上げられた。コメンテーターの多数は、吉川議員は女性との「不祥事」の責任をとって辞めるべきだという意見であった。しかし、政治評論家の田崎史郎は、ポスト記者以外の誰も事実の確認ができていない、と指摘する。私もポストが写真をとっていることからは、誰かの事前の情報があったと思う。田崎の情報では、吉川議員は斡旋を受けた飲食店経由で女性に連絡をとろうとしたが、その女性はすでに飲食店をやめていて連絡が取れない状態であるという。現時点では、ホテルでお酒を飲んだという事実しか確認できていない。また、吉川議員と会う前から、その女性はお酒を飲んでいたという。田崎は、「不祥事」で議員を強制的にやめさせるのは、将来に禍根の残ることで、本人の釈明と判断に任すべきだという。ハニートラップにひっかかるのも軽率かもしれないが、ハニートラップが横行するような低レベルな政治家どうしの闇討ちはやめるべきである。
しかし、誰が本当にハニートラップを仕掛けたのだろう。
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