猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナの新規感染数が国内も東京も過去最多、専門家会議を復活せよ

2020-11-18 22:17:43 | 新型コロナウイルス

新型コロナの国内の新規感染数が、きょう、過去最多の2189人となった。東京都の新規感染数も493人で過去最多となった。

これは、新型コロナ対策に政府が失敗したことを意味するのではないだろうか。

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が活動していた間は、感染爆発をどうにか抑えられていたように思える。しかし、政府は、6月24日に新型コロナウイルス対策専門家会議を廃止し、経済とコロナ対策を両立させようとした。

このことに、誤りがあったのではないか。

経済とコロナ対策の両立は、明らかにむずかしい課題である。だからこそ、コロナ感染の現況を正確に把握することと、感染の経路を疫学的に正確に推定することが必要である。専門家会議を廃止し、政治的判断をヨイショする分科会組織にすることによって、政府が、みずからの新型コロナ対策の力をそいでしまったのではないか、と思う。

6月15日以前は、新型コロナの感染の指標「実効再生産数」の値が、ほぼ、毎日のように報道されていた。ところが、専門家会議が廃止されてからは、いつの間にか、「実効再生産数」が報道されなくなった。

この「実効再生産数」とは、感染者数の増加数にモデル数式を適用し、ひとりの感染者が何人に感染させるか、という数字で、再生産数が1ということは、新規患者数が現状維持で、1より大きければ、患者数は爆発的に増える。

新型コロナの感染状況を、統計モデルを使って分析していれば、これまでない強力な第3波が来ることが予期でき、過去最多を招かずに抑え込めたかもしれない。

こうなったら、政府は恥をしのんで、あの西浦博教授の再登場をお願いするしかない。

政府の本音は経済を優先したいということだと思うが、経済活動にもいろいろな分野があり、一律に規制する必要がないだろうし、また、経済活動の形態に変化があっても良いはずだ。そのためには、感染経路の疫学的推定が必要になる。

現在、飲食店だけが特別視されているが、満員の通勤電車が感染経路になっていることはないだろうか。先日、TBSの『ひるおび!』で、北村義浩教授が、感染経路不明の感染の多くは通勤電車ではないか、と言っていた。現在、通勤電車の混雑は以前の状態に戻っている。通勤電車の感染は、誰と接触したかは不明だから、疫学的手法を使わざるを得ない。主な感染経路の1つと判定されれば、テレワークできる職種はテレワークをし、通勤電車の混雑を解消しなければならない。

また、日本医師会は「GoTo トラベル」や「GoTo イート」が原因ではないか、と疑っている。本当にそうなのか、本当なら、どのような行為が感染拡大に寄与しているのか、疫学的に調べなければいけない。その分析結果が出るまで、政府は「GoTo トラベル」や「GoTo イート」を推進するのを一時中止しなければならない。

感染経路となる業種や活動が特定できたなら、休業が必要なのか、それとも、活動形態の変更で対応できるのか判断しないといけない。休業を要請するなら、休業補償や代替職場の確保を政府が行うべきである。

繰り返しになるが、経済活動を一律に規制する必要がなく、また、経済活動の形態にも変化があって良い。そのためには、感染状況の正確な把握、感染経路の正確な疫学的推定を実施すべきで、もう一度、専門家会議を復活すべきである。

[補遺]
11月19日、東京都の新規感染者が534人となり、前日の過去最多を越えて、過去最多となった。「GoTo」キャンペーンは自粛すべきである。

バイデンの発言「尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲」に憂いる

2020-11-17 21:41:45 | 日本の外交

けさ、TBSの『羽鳥慎一モーニングショー』で、5日前の菅義偉とジョー・バイデン氏の電話会談で、バイデンが「尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲である」と言ったことが話題になっていた。番組全体としては、バイデンが日本びいきだから、そう言ったのだろうという雰囲気だったが、玉川徹だけが違っていた。尖閣列島に中国が上陸し米軍が動けば、米軍基地のある日本は、米中戦争に日本が巻き込まれると玉川は言った。

加藤陽子の『戦争まで』(朝日出版社)は、リットン報告書、三国軍事同盟交渉、日米交渉を史料からたどり、どのように、1941年12月8日、日米戦争に至ったかを明らかにしている。

当時、日本側は、とくに陸軍は、日中戦争ですでに疲弊しており、積極的に米国と戦争したくなかった。海軍も、予算をもらっている以上、戦争をしないとは正面をきって言えなかったが、アメリカとの国力の差から勝てるとは思わず、戦争を避けたかった。

米国も、ドイツと闘うイギリスを物資で支援しつづけるために、太平洋側で戦争を起こしたくなかった。

三国軍事同盟を急いだドイツは、イギリスを支援するアメリカの背後でアメリカを日本が脅かすことを期待していた。しかし、本当にことを起こすとは考えていなかった。

積極的に戦争する必要がないはずの状況で、日本側から開戦を宣告し、その直後にハワイの米軍基地、真珠湾を攻撃した。日本側からみれば油断していた米軍を襲ったわけである。日本のサムライ間の戦争は昔から奇襲攻撃が伝統である。

私は、昔、武士の末裔から、寝ている人の枕を蹴ってから殺せば、闇討ちでないと聞いている。サムライはクソなのだ。

加藤陽子の本は、「政府や軍部が誘導した世論」に押され、「勝てると思ってない戦争」に政府と軍部は踏み込んだ、と主張しているように私には思える。

トランプ大統領は、これまで、中国の悪口をアメリカの国民に言いまくってきた。アメリカの労働者が職を失うのは、中国人が安い賃金で働くからだ。中国の先端科学技術は米国から盗んだものだ。新型コロナ感染の大流行でさえ、情報を正しく伝えなかった中国のせいだ。

今回の大統領選で、トランプは負けたといえども、前回より得票数を伸ばしているのだ。したがって、現在、中国憎しというアメリカ人が大量にいると考えるべきだろう。

そこで、ジョー・バイデンが中国をどう考えているかであるが、今回の菅との電話会談で明らかになったのは、中国を敵視していることだ。

米国を統治する人々は、お金儲けはよいことだ、と考える。だから、反共産主義、反社会主義である。加藤陽子の本が述べるように、戦前は、米国と日本とは、ソ連と中国共産とが共同の敵だった。それがゆえに、日米交渉や日独交渉が成立した。戦後も、岸信介、安倍晋三が米国議会でスピーチして拍手を受けるのは、反共を訴えるときである。

米軍は中国の南進を警戒している。それが故に、沖縄の米軍基地が重要であり、尖閣列島が日本領であることが重要なのである。

トランプは中国に経済戦争をしかけた。40年前の日米経済戦争との違いは、アメリカの同盟国にもその経済戦争の参加を呼び掛けていることだ。この経済戦争は、軍事的戦争の一歩手前である。

したがって、バイデンが「尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲である」と言ったことを、日本びいきな発言と喜んではいけない。米中戦争を起こしてもいけないし、米中戦争に巻き込まれてもいけない。メディアが、政府の中国脅威説に加担してもいけない。

戦争は国民が起こすのではなく、政府が誘導した世論に押されて政府が戦争を起こすのである。

任命拒否された加藤陽子の『戦争まで』を苦労して読む

2020-11-15 21:55:15 | 戦争を考える

加藤陽子の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)が、なかなか読み進まない。読んでいると、無性に腹が立つからである。鼻持ちならないエリート臭さが、私のような貧乏人にはがまんがならない。歴史が大好きな高校生を集めて、偉そうに話しかけているだけだ。対等に高校生と話していなくて、高校生の返答に自分の意見に基づき、採点しているだけだ。自分と同じエリートを育てあげようとしている。

本書に人名がやたらと出てくる。それは自分の権威化にすぎない。歴史を作った人物ではなく、自分の歴史解釈の基盤を作ったインテリである。

〈長谷部恭男という、東大から早稲田大学に移られた憲法学の先生〉
〈村井章介先生〉
〈吉野作造〉
〈美濃部達吉〉
〈中村元哉先生〉
〈堀和生先生〉
〈和辻哲郎〉
〈寺沢薫先生〉
〈久保正彰先生〉
〈小野塚知二先生〉
〈堂目卓生先生〉

上は第1章に出てきた人名である。「先生」がついた人名は、加藤が直接会ったことのある人であろう。偉そうに互いに先生と呼んでいるのではないか。「先生」をつけるな。

よく思い出してみれば、私は大学で教師を「先生」と呼んだことはない。
ニュートンが「自分は過去の巨人の上にのって先を見た」と言ったといわれているが、ニュートンのプリンキピアで誰かの名前を本文で引用して、自説を展開することはなかった。

「長谷部先生」が、ジャン=ジャック・ルソーの論文を読んで、

〈戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだ〉

と言っていたという。ここで、加藤は、ここでの「憲法」とは

〈具体的な憲法の条文ではなく、社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理を意味しています〉

と解釈を添える。私は、ますます、わからなくなる。加藤陽子は観念論者ではないかと思ってしまう。

加藤は、これでもかこれでもかと話を広げる。高校生には背伸びを促す効果があるのだろうが、私の立場からいえば、他の本を読まなくても、話しが完結するようにして欲しい。

加藤は、第2章で、日中衝突に関するリットン報告書が満州国を日本の傀儡国であると認めながら、日本の現状の利権を中国に認めさせて、両者の調停を図ろうとするものであると指摘する。第3章で、日独伊産国同盟の影で、ドイツが中国を支持していて、日本が中国と和睦するよう望んでいたことが明かされる。ふたつの章を通して書かれるのは、ソ連の脅威である。陸軍参謀の石原莞爾のソ連と満州の国境を日本の防衛線にするという戦略が紹介される。

加藤は、このような国際状況でどのような選択肢があって、その損得は何かを高校生に判断させようとする。ここでも、加藤の態度が偉そうなので、うんざりした。

チェスや将棋の解説とは違う。侵略されて土地をうばわれ、奴隷のように働かざるを得ない人びとがいる。日本に逆らうからといって殺される人びとがいる。結局は、統治者の立場から歴史を論じているにすぎない。

第3章まで読み進めると、日本の軍部、海軍や陸軍はどうしてこのように図にのったのか、の疑問のほうがわいてくる。私は、「尊王攘夷」の思想が明治以降も生きていて、「尊王攘夷」の波に乗り遅れた東北や北陸の武士の末裔が、大日本帝国憲法のなかで、天皇にしか責任を負わない軍部に自分の立身出世を賭けたのではないか、と思う。それが「昭和維新」の実体のような気がする。

そういえば、また、思い出したのだが、高校のとき、日本史が嫌いで、いつも白紙で答案を出していた。その教師は、私が生徒会会長をやっていたときの顧問である。ハチャメチャに私が学校の常識に逆らっていたから、選挙で勝って生徒会長になったのである。顧問とは互いに会話した記憶がない。しかし、今から考えると、顧問も学校も寛容だった。

加藤陽子はどうもヒラリー・クリントンのようなブルジョアの立場から世界を考える知的エリートではないか。いっぽう、加藤を毛嫌いする安倍晋三や菅義偉は、知性の欠けた極右ではないだろうか。

菅義偉は なぜ加藤陽子の日本学術会議会員任命を拒否したのか

2020-11-14 23:02:26 | 日本学術会議任命拒否事件

菅義偉が、日本学術会議会員任命拒否した6名のうち、菅自身が知っていたのは加藤陽子だけである、との答弁を聞き、なぜだろうか、ずっと気になっていた。

いま、少しわかってきたことがある。加藤陽子は、安倍晋三から嫌われてきた「自虐史観」にたつ現代日本史の学者である。官邸は、政府の具体的法案に反対したかどうかだけでなく、どういう歴史観にたって学術研究し、教育しているかを問題にしたと思われる。

もし、そうなら、思想の自由、学問の自由という日本国憲法の掟を菅義偉は破ったことになる。

日本語ウィキペディアの「加藤陽子」の欄を見ていると、つぎの記述があった。

〈東大での指導教授だった伊藤隆は、加藤の研究を高く評価しつつも、加藤が後に「新左翼」へと回帰したと述べている(2017年)。〉

ここの「新左翼」とは、日本共産党以外の左翼思想のことを漠とさす、ののしり言葉と思われる。
伊藤隆は育鵬社の歴史教科書にたずさわった人で、同じく、レッテル貼りして言えば、「左翼の歴史家と論争してきた」右翼歴史学者となる。

「加藤の研究を高く評価」だから、日本学術会議が加藤を新会員に推薦しても何もおかしくない。

ウィキペディアの記述は続く。

〈加藤は1999年頃から山川出版社の教科書『詳説日本史』の執筆に関わっているが、この教科書は加藤自身にとっては満足のいく出来ではなかった。このときの経験をもとに、歴史研究の「凄み」を高校生に示したいという内容の「私が書きたい『理想の教科書』」という論考を2002年の『中央公論』に発表している。この論考を読んだ編集者の声掛けをきっかけに、のちに『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が執筆されることとなった。〉

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009年)は、第9回小林秀雄賞を受賞している。同書の南京事件の記述にたいして、「右翼」の学者の反応はつぎのようなものだったという。

〈上杉千年は「理科の教科書に〈月に兎がいるという説がある〉と書くに似ている」と非難し、秦郁彦も加藤について「左翼歴史家のあかしともいうべき自虐的記述は、正誤にかかわらず死守する姿勢が読み取れる。つける薬はないというのが私の率直な見立てである」と非難している。〉

どうも、この事件で、加藤陽子を、「右翼」学者たちが、自分たちと同じ保守系歴史学者と思っていたから、裏切られたという思いがあって、「新左翼へと回帰した」と ののしったのではないか、と思う。

ところで、加藤陽子は「左翼」の歴史家ではないのではないようだ。左翼の歴史家の多くは、民衆は何を思って、どう行動したのかに着目して、歴史を眺める。加藤は、政府や軍部に関わったものが残した文書にもとづき、関係者がどのような意図をもって、歴史に関わり、歴史が動いたかを実証的に分析する。だから、伊藤は「加藤の研究を高く評価」したのだろう。

いま、そのことを確認すべく、私は、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社、2016年)を読んでいる。高校生向けに書かれたので、言葉は平易だが、扱っている内容はむずかしい。

だから、「叩き上げ」の菅義偉が、加藤陽子の本を読めるとは、私は思わない。日本会議のメンバーか安倍晋三が、加藤陽子を「自虐史観」を高校生に広めていると、菅に言ったのが真相と思われる。

[補遺]
日本語ウィキペディアから、
〈東大での指導教授だった伊藤隆は、加藤の研究を高く評価しつつも、加藤が後に「新左翼」へと回帰したと述べている〉
の記述がなくなったことに、11月19日、気づいた。この伊藤隆の言葉を検証したいと思っているが、手掛かりがない。いま、伊藤隆の『歴史と私』(中公新書)を読んでいるが、山川出版社の『日本歴史体系』で加藤陽子に執筆を分担してもらったという記述があるだけで、加藤陽子をほめもしないし、けなしてもいない。

ジョー・バイデンはトランプ大統領のことを「恥ずかしい」と言ったのか

2020-11-11 22:19:26 | 国際政治
 
きょう昼に、仕事にでかけるとき、テレビで、アナウンサーが「トランプが負けを認めないのは恥ずかしいことだと批判した」と言っていた。私が気になったのは、そのときの引用された音声つき映像では、“It’s embarrassment”とジョー・バイデンが言っていたことだ。
 
“embarrassment”と「恥ずかしい」とは、意味が違うのではないか。 “embarrassment”は「困ったことだ」という意味で、確かに「批判」とも言えるが、「懸念」といった方が良い。トランプ大統領に投票した人たちに配慮した表現である。
 
夜、帰ってきてから調べると、BBCのサイトでは、つぎのようになっている。
 
The president-elect was asked by a reporter on Tuesday what he thought of President Trump's refusal to acknowledge defeat.
"I just think it's an embarrassment, quite frankly.”
"The only thing that, how can I say this tactfully, I think it will not help the president's legacy."
"At the end of the day, you know, it's all going to come to fruition on January 20." 
 
ジョー・バイデンが上のように呟いている動画(映像と音声)が、BBCのサイトに貼り付けられていた。出かけるとき私が聞いたのは、最初のセンテンス(文)である。
 
朝日新聞夕刊でも、「困ったこと」ではなく、「恥ずかしいこと」となっている。
 
“embarrassment”が、いつから、「恥ずかしいこと」になったのだろう。ジョー・バイデンは、私より5歳上だから、私と同じ語感で使っていると思う。「理解できない言動で対処に困っている」ことが“embarrass”である。誰かが「恥ずかしい」という変な訳を日本メディアに配ったのではないか。
 
ところで、この語には、私は特別な思い出がある。
 
何年か前に、第2次世界大戦で日本軍が無謀なインパール作戦を計画実施し、3万人の兵士を無駄死にさせた、というドキュメンタリーをETVで放映した。インパール作戦を指揮した牟田口廉也中将は、戦後、イギリスの元軍人がこの作戦を”embarrassed” と書いているのを見つけて、イギリス軍を「困らせた」と自分で自分をほめていたという。
 
”embarrassed” は理解しがたい行為に出くわしたときに使う言葉である。ところが、たまたま、彼が読んだ辞書に「困らす」としか書いてなかったのであろう。単語はニュアンスを覚えないと大失敗をする。
 
「恥ずかしい」とは、行為の主体を直接的に責めている。“embarrass”は、その行為を受けた側の気持ちに重点がある。従って、「批判」より「懸念」である。
 
なお、最後の"At the end of ……”は、「結局、1月20日には、何とかうまくいくさ」という程度の砕けた表現である。