猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

脱原発、再処理、海洋放出を衆議院選の争点に

2021-09-07 22:41:58 | 原発を考える

政治評論家の田崎史郎は、自民党総裁選で一番人気の河野太郎が勝利するのは難しいだろうと言う。それは、河野太郎が原発稼働と使用済み核燃料再処理に反対しているからであると言う。自民党の幹部たちにとって、いままで選挙に勝ってきたのは自民党が既得権集団の利権を守るからであり、河野を総裁に据えると自民党が壊れると思っているからだと言う。

原発の稼働は日本の経済にとって必要ではない。原発はもっとも安い発電方法ではなくなっている。原子爆弾を日本が製造する原料と技術を確保するために、原発の稼働が必要だという自民党幹部もいるが、私には、それも必要と思えない。

原発は安全な技術ではなく、無理して稼働すべきではない。

きょう、9月7日、IAEA(国際原子力機関)のエブラール事務次長らが、福島第1原発事故のトリチウム水放出の安全性などについての検証作業を開始した。

IAEAは、原子力の平和利用を推進する機関である。トリチウム水を放出することでなりたつ原子力利用を推進する機関であり、そんなものが、安全性を宣言しても、何の意味ももたない。

トリチウムは自然崩壊する放射能物質である。したがって、自然界にほんの微量しか存在しない物質である。アメリカ、ソビエト、中国が核兵器開発の実験を繰り返したために、大気中のトリチウム濃度が、一時、以前の200倍になった。原発が平和利用だからといって、大量のトリチウム水を海洋に放出して、良いわけでない。トリチウム水は、どこかに閉じこめて、自然に崩壊するのを待つものである。トリチウムの半減期は12年であるので、1000分の1になるには、120年待てばよい。

東京電力は1km沖にトリチウム水を放出するという。沿岸から1kmというと、防波堤までの距離である。この距離では水深は10mを越えない。じつは、水深10mで1気圧、水圧が増す。圧力を加えて海底深部にトリチウム水を放出することを、はじめから、考えていず、表層に放出するつもりでいる。大量のトリチウム水が、福島、宮城の沿岸に漂流することになるだろう。

それは、良いことではない。立憲民主党は、今度の衆院選で、脱原発、再処理反対、トリチウム水放出反対の立場を明確に打ち出すべきである。

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二大政党制や小選挙区制だけが代議制民主主義のありかたでない

2021-09-06 23:07:25 | 政治時評

朝日新聞では、8年前から長谷部恭男と杉田敦との対談「考論」を不定期に掲載してきたという。8月21日のオンラインイベントには加藤陽子をゲストに迎え、「〈危機の政治〉と〈政治の危機〉」をテーマに語り合ったいう。その一部がきょうの紙上にのっている。

菅義偉が自民党総裁選に不出馬となる前だから、菅批判がイベント要約記事の先にきている。しかし、私が興味をもったのは、小選挙区の批判である。

宇野重規は、『民主主義とは何か』(講談社現代新書)のなかで、アメリカの代議制民主主義や連邦制は、貧乏な多数派が金持ちの少数派を抑圧しないために、考え出されたものだと述べていた。小選挙区制はまさにその機能がある。選ばれた議員が国民の声を代表しないために適している。しかし、これが、政治不信を生み、投票率が低下する原因となっている。

杉田は、小選挙区比例代表制導入の理由を「政権交代可能な二大政党制」の実現という。そして、その二大政党制が実現しないことをつぎのように説明する。

《政党政治が根付いた国では、現状に不満がある人は与党でない2番目の党を支持する。ところが日本では2番目にいかずに、ゼロ、無党派になるのが特徴》

まず、私には、なぜ、「政権交代可能な二大政党制」が良いのかわからない。アメリカとイギリスをのぞき、ヨーロッパの多くの国では、多数の政党があり、連立で政権ができる。

日本の小選挙区比例代表制導入は、あくまで当時の政権党と野党との「妥協」で、しかも、政権党よりの妥協である。

杉田は党派性を肯定しているが、多様性を容認する社会では、党派の多様な選択肢を残すのが、大人の社会ではないか、と思う。選択肢が、白か黒かでは、社会の分断が進み、不安定な社会になる。また、時代の変化に政治がついていけなくなる。政治に党派性をみとめるのなら、比例代表制を認めるべきだろう。

「政党政治が根付いた国では、現状に不満がある人は与党でない2番目の党を支持する」とはどこの国のことをいうのだろうか。杉田のいっていることは妄想である。

アメリカの民主党・共和党では、党が国民に開かれている。トランプは民主党員だったが、共和党に移って大統領になった。民主党内で左派と右派が大統領候補を決めるのに、1年以上前から争っている。民主党・共和党の党派性が曖昧模糊としており、自分自身の参加によって、党が変化する可能性を秘めていることで、二大政党制への個人の不満を吸収していると思う。

党が誰にでも開かれており、党の信条が柔軟に代わることは、一般には期待できない。これがヨーロッパの多くで、多数の政党と比例代表制をとっているのだと思う。

本当に望ましいのは、代議制民主主義を本質において直接民主主義に近づけることである。代議員(国会議員)が頻繁に代わること、議決において代議員は党に拘束されないこと、選挙期間に制限がないこと、大選挙区にし、党派に属しない人や少数派でも当選できる可能性をもたすこと、選挙区民は選挙のやり直しを請求できること、代議員の俸給を減らし職業政治家になる動機を減らすこと、いくらでも、代議制民主主義の改善のために、ためすことがあるのではないか、と思っている。


菅義偉はどこで誤ったか、何を後世の教訓とするか

2021-09-05 23:53:50 | 叩き上げの菅義偉

これは、菅義偉の墓碑である。「坊ちゃん・嬢ちゃん」の安倍晋三、麻生太郎に裏切られ、肉体的には生きているのに、政治的には死に追いやられた「叩き上げ」の男の無念さを思い、彼に代わって書く墓碑である。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

昨年の8月28日に安倍晋三が健康上の理由で突然辞意を表明し、菅義偉は急に自民党総裁候補に浮上した。彼は、つづく9月14日の自民党総裁選に勝ち、9月16日に衆議院で内閣総理大臣の指名を勝ち取った。

政権発足時の世論調査では、70%を上まわる支持を菅政権が得た。マスコミを通した「叩き上げの総理」の宣伝が効を奏したようである。

その直前、昨年の9月5日のTBSテレビの『ひるおび』では、田崎史郎、伊藤惇夫、龍崎孝の3名が、菅義偉の総理としての資質について懐疑的な意見述べた。

私も、「叩き上げ」だから理由もなく良いとは思わなかった。ほとんどの人は、「坊っちゃん・嬢ちゃん」ではなく、自分で道を切り開き、自分の手の届いた範囲で満足するしかない。「叩き上げ」を自慢するのはヤクザぐらいである。

昨年の9月8日のTBSテレビ『ひるおび』では、政治ジャーナリストの田崎史郎は、安倍晋三が一昨年の9月に二階俊博を幹事長から外そうとし、二階と安倍の亀裂ができ、その間を取り持ったのが菅であると言った。昨年の8月には安倍の辞任の意思が政権内で明らかになったが、みんなで安倍を慰留していた。このとき、すでに菅は安倍後に向けて、幹事長の職に固執する二階を利用して、総裁の座を目指していたという。

この話を聞いたとき、私は、菅は、安倍と麻生の弱み(犯罪行為)を抑えているのだと思った。じっさい、岸田派、石破派以外は雪崩をうって菅支持にまわった。

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残念ながら、国民の多くは、自民党内の権力闘争を時代錯誤的なものとみなさず、「叩き上げ」の菅に期待したのである。

しかし、一部の国民は、菅義偉の自民党総裁選の出馬会見のつぎの発言に驚いた。

《まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います》

「叩き上げ」の菅は、「坊っちゃん・嬢ちゃん」でもなくても自分のように成功した人の財産などを守りたいのだ。「叩き上げ」の菅には弱者が目にはいらない。困っている弱者を助けないで何のために国があるのか。

菅は、「自助・共助・公助」の発言を撤回しなかった。

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菅は、総理の初仕事として9月29日に、日本学術会議の新規会員推薦リストのうち、6名の任命を拒否した。日本学術会議の会員の任期は6年で、3年ごとに半数の会員210名が入れ替わる。日本学術会議法第7条に「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあり、この法案が審議されたとき、「推薦に基づいて」を「推薦のまま」と解釈することで了解されていた。当然、日本学術会議側は、拒否の理由を求めた。菅は、これに対し、任命拒否の理由を明らかにせず、また、拒否撤回もしなかった。ただ不思議なことを言った。拒否された6名のうち、「加藤陽子」をのぞいて、自分はどんな人か知らない、と菅は言った。

今年の7月になって、加藤陽子は、任命拒否の裏側をつぎのように推測した。前回の(3年前)の推薦のとき、学術会議の会長が、安倍晋三に6名多い推薦リスト非公式に見せたのにもかかわらず、自分が総理ときには定員枠通りの推薦リストしか見せないと怒ったのだ、という。だから、理由もいえない。拒否の6名の選択は官房副長官に任した。だから、たまたま知っていた加藤陽子以外は、名前さえ知らなかったのだ。

菅は自分の権威に固執するという、致命的な欠点をもっている。自分に自信がないのだ。

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きのう、9月4日の朝日新聞『〈交論〉突然の首相退陣』に、御厨貴は「説明しない」政治家、江川紹子は「コミュニケーションが一方的な」政治家と菅義偉を批判していた。ただし、両名ともこれは安倍政権からと言っている。

御厨の言っていることは、記者のまとめが悪いせいもあり、怒っている割には意味不明である。

プレゼンテーションが下手であることが問題なのではない。話下手でも誠意ある態度で説明すれば、必ず誠意が通じる。問題は、菅が、総理は日本で一番偉い権力者と思っており、自分の権威ばかりに気にとられ、相手と対等になって話そうとしないことだ。

日本は代議制民主主義をとっている。政権内の自民党や公明党だけでなく、野党とも対等になって話さないといけない。そのためには、定例の国会期間だけでなく、それ以外にも、臨時国会を開いて国会議員と議論を交わすべきだった。が、しなかった。

政治家は上手に説明すればよいというものではない。説明だけが上手なら詐欺師である。御厨は古いタイプの政治学者で、統治が安定していればよい、としか考えないクソである。

江川の視点も良く分からないが、1つは国会内の対話、1つは記者との対話、1つは政府内の、特に官僚との対話、1つは国民との対話を指すものと思う。ただ、代議制民主主義では、誰がやっても、国民との直接対話は難しいので、これからの課題であろう。

御厨のもう1つの指摘は、「大量の情報集中が菅さん個人の処理を越えてしまう」時がくることを菅が理解していないということである。これで何が言いたいのかだが、私が察するに、自分の情報の処理を助ける信頼できる部下やアドバイザーをもてなかったことを言うのだと思う。

国を支配する者は良いスタッフを抱えるという昔からの政治の王道を知らないと御厨は言いたいのだろう。

結果として、菅義偉は新型コロナ対策を誤り、自分を助けると思っていた安倍晋三や麻生太郎に裏切られた。総裁選不出馬の決断2日前、自分の後ろ盾の二俊博階を切ろうとしたことからみれば、菅は騙されたと言った方が適切だろう。安倍や麻生は「坊ちゃん・嬢ちゃん」だが、陰謀だけには たけている。ただの「ぼんぼん」ではない。

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政治は、自分の野望のために行なうものではない。国民のため、人のために行なうのである。菅義偉の墓碑を書くことで、同じ誤りを繰り返さないよう願う。自民党内には、「叩き上げ」の菅より、もっと悪るい人たちが うごめいている。政権交代こそが日本で必要である。

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老人の過失に厳罰を求め、政権の過失や犯罪に甘い日本社会

2021-09-03 22:36:02 | 社会時評

きのう、東京地裁が、池袋暴走母子死亡事故 の90歳の被告に、禁錮5年の実刑判決をくだした。私は他と比べて量刑が重いのではないかと思う。

東京地裁は、「ブレーキとアクセルの踏み間違いに気付かないまま車を加速させ続けた」と過失を認めている。それなのに、本件は執行猶予なしの禁錮5年の実刑判決である。理由は、90歳の老人が踏み間違いを認めず、謝らなかったからだ。

1981年に、母親に暴力を振るう息子を父親が殺した。東京地裁は、これに、懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。

これは極端なケースかもしれないが、最近、交通事故のような過失に対しても、社会は、厳罰を求めるようになっている。

いっぽうで、福島第1原発事故を起こした東京電力や原子力政策を強引に進めた経済産業省の官僚や政治家の誰も、罰せられていない。政府が関与した過失や犯罪は罰せられないように見える。安部晋三が関与した森友学園事件では、公文書の書き換えをめぐって自殺者まで出ているが、誰も罰せられていない。

権力者の誤りを誰もとがめず、「ブレーキとの踏み間違いに気付かないまま、アクセルを最大限踏み続けて加速させ、事故を起こした」老人のみが責められ、それで日本人が満足するなら、日本人はクソではないか。

きょう、菅義偉は自民党内の総裁選に出馬しないという報道が駆け巡っている。菅から人心が離れたのは、新型コロナ感染対策の不手際である。菅の誤りは、感染対策より経済対策に固執したからである。メディアが菅の対策を批判できたのは、専門家会議が、そして、それが解散させられると、分科会が、公然と、政権の感染対策を批判した。メディア自身の力ではない。

ところが、菅が総裁選に出ないとなると、メディアは、総裁選を、国盗り物語のように、お祭りのように、報道している。新型コロナ対策の不手際の問題はどこかに吹っ飛んで、野望と野望のぶつかりをショーとして、見世物として、自民党内の総裁選を報じている。

まやかしである。

死に体のはずの政権内から、GOTOキャンペーンの再開が論じられている。そして、緊急事態宣言を出さないで済むように、緊急事態の基準の書き換え、新型コロナの感染症の分類の変更が聞こえてくる。自民党が経済優先であることは、総裁の首を変えても同じだ。

こうなると、日本人がクソなのか、それとも、日本のメディアがクソなのか、を問いたくなる。

[蛇足]

いま、テレビで、「すごいぞ日本、メダルラッシュのパラリンピック」の声がした。

すごいのは、選手個人であって、日本ではない。それに、新型コロナ禍の東京でオリンピックやパラリンピックをすれば、地元の選手が有利になる。メディアの人間は何を考えているのだろう。


ドイツの脱原発には着実な歴史がある、と電力事業連合のウェブサイト

2021-09-02 22:58:47 | 原発を考える

きょう、電力事業連合のウェブサイトに面白い記事を見つけた。ドイツにおける脱原子力の歴史である。電力事業連合とは、日本の9つの電力会社が設立した広報組織である。

ドイツの脱原発は歴史が古い。1986年のソ連・チェルノブイリ原発事故のあと反原発運動が高まり、ドイツの世論が脱原発の方向に動き出した。

《 1998年に、二大政党のひとつである中道左派の「社会民主党(SPD)」と、初の連邦政権入りを果たした環境政党「緑の党」による連立政権が発足し、脱原子力政策が開始された。以来、「脱原子力」と「再生可能エネルギー(再エネ)拡大」がドイツにおけるエネルギー政策の基本方針となった。》

だから、アンゲラ・メルケル首相が突然原発廃止を決めたわけでない。

2002年に脱原子力の法制化がなされた。新しく原発を作らない。各原発に生涯発電電力量を決め、それを越えるなら廃炉にする、というものだ。生涯発電電力量は、平均として、32年分であった。2003年に1基、2005年に1基の原子炉が閉鎖された。

日本は、2011年に福島第1原発で、原子炉のメルトダウンがあったにもかかわらず、そして、国民の多数が原発の稼働に反対なのにもかかわらず、新しく原発を作らないとか、古い原発を廃炉にするとか、を法律で決めていない。日本の国会議員は正気でないか、原子炉メーカと電力会社に支援を受けていて、脱原発を法制化できていない。

2005年にメルケル率いるCDU/CSU連合がSPD・緑の党連合に僅差で勝った。

メルケルは電力業界の要請をうけて、2010年に脱原発の法を改正した。生涯発電電力量を平均12年分上乗せしたのである。原発を新たに作らないのは維持された。

ところが、2011年3月11日に東日本大震災が起き、福島第1原発で、3基の原子炉がメルトダウンし、水素爆発も引き起こした。

これを受けてメルケルは方針を変え、運転延長を撤回し、各原子炉の閉鎖年限を決めた。現在、すでに、11基の原子炉を閉鎖している。2022年中に、残りの6基も閉鎖することになっている。これまで、脱原発の準備は淡々と進められ、再生エネルギーで、まかなえるようになっている。

日本では、自民党・公明党だけでなく、立憲民主党も、脱原発を口で言うだけで、その道筋を法律で決めていない。すなわち、やる気がないのだ。経済的な理由で、原発を続ける必要性はもはやない。自分たちが制御できない原子力技術にたよる必要はない。本当のところは、原発事業にたよる組織が執拗に原発の稼働にこだわっているだけである。原発を永延に動かすことはできない。古くなれば、崩壊の危機にさらされる。

それに、ドイツでは、人為的ミスで、チェノルブイ原発事故が起きたことが重視された。また、世界的に、使用済み核燃料の処分も決まっていない。原発を稼働すれば稼働するほど、核のゴミの処分に困るだけだ。

キチンと脱原発を法制化し、脱原発の準備をしないと、取り返しのつかない事態に、日本が陥る。

きょう、テレビ朝日のモーニングショーで、玉川徹が、河野太郎、小泉進次郎のパワーハラスメント記事は、経産省の原発推進派の陰謀だといった。私も、そうかもしれない、と思った。政府や経産省内で原発推進派の暗闘がおこなわれているのは真実だろう。しかし、冷静に考えれば、原発稼働に何の正当な理由もない。原発推進派は正気でない。