最近、寝ている時間が増えている。きょうも夕食が終わると寝ていた。
ふっと気づいたとき、池上彰がテレビで、社会主義では人びとは働かなくなり生活はが貧しくなるとしゃべっていた。鄧小平が社会主義市場経済を導入したことで中国経済が発展した。市場経済とは自由にお金儲けをしてよいことだから資本主義である。社会主義資本主義というのはおかしい、と言っていた。
まだ、脳が寝ていたから、社会主義というのがオカシイというのか、資本主義というのがオカシイというのか、わからない。
だが、社会主義だから生活が貧しくなるというのはオカシイという気がする。数学の論理では、真理の命題の対偶は真となる。すなわち、生活が貧しくならないためには社会主義であってはならないということになる。そんなに、社会主義とは悪なのか。
根本的な問題は、社会主義とは国家が市場を管理することだからいけないのか。それとも、一部の人びとが、富を独占することが良いことなのか。他人の幸せを考えてはいけないのか。
社会主義とか共産主義とかいう場合は、社会における人間関係のあり方を言うはずである。市場経済とは経済活動におけるありかたである。しかも、経済学者がつくった理想化された概念である。
たとえば、J. K. ガルブレイスは『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)のなかで、市場経済とは理想化された虚構で、本当は、人間は市場経済社会の中の自由競争で耐えられず、安定を求めてイカサなな仕組みをつくってきた。お金持ちのほうが政治的発言力が強いからお金持ちに都合の良いルールがしかれた。市場経済の名のもとに不公平がまかり通ってきたという。
社会の根本的理念として、社会主義、共産主義に対抗するものとして、自由主義(リベラリズム)がある。そして、自由主義に対抗するものとして、国家主義というものがある。
新型コロナが社会を覆う前に、5年前だと思うが、高校以来あったことのない友達にあって自慢話を2時間ほど聞いた。大学を出た後、NECの開発研究所に務めたという。人に命令されることが嫌いなので、つぎつぎと上司をはめて、どんどん上に上り詰めたという。結局は、大きなビジネスに失敗したので、退職金をたっぷりもらってNECをやめたという。
自慢話だから、すべてが事実とは限らない。しかし、人に命令されるの嫌だというのは本音だろう。だからといって、上司をはめる必要があるのか、は疑問である。人の上にたたないと自由がないのか。
自由主義というのも、現実社会では心もとない理想である。自由主義は富や自由の独占を認めているのだろうか。中国共産党を叩いているだけで、日本社会の現状の肯定しているのでは、イケナイと思う。
私の脳はまだ半分寝ている。