(無関係の人)
きょう、1月15日午前8時35分ごろ、大学入学共通テストの会場となっていた東京大学弥生キャンパス前の路上で、72歳の老人と 受験しに来た高校生2人の背中を、高校2年生の男の子が相次いで刺した。
弥生キャンパスは、道路を挟んで、安田講堂のある本郷キャンパスの隣にある。弥生キャンパスには農学部と地震研があるが、医学部は本郷キャンパスにある。地下鉄東大前駅に出て、誰でもよいと、すぐ犯行に及んだのであろう。
大学共通テストの会場は地元の受験生が受けるのであって、別に会場になっている大学を受験するとは限らない。なんの理由もなく、刺されたのであろう。幸い、刺された3人は命に別状がないということで、彼(その男の子)は殺人犯にならないですむ。
彼は、学生服のまま、名古屋から高速バスで上京した、という。地元の警察署には14日夜になって家族から行方不明届が出されていた。届け出た際に「学校に行っていると思っていたが登校しておらず、帰宅していない。成績不振で悩んでいた」と家族が相談していた。
彼は、取り調べに対して、
「医者になるために東京大学を目指して勉強を続けてきたが、1年くらい前から成績があがらず自信をなくしてしまった」「目指している医者になれないのなら、このまま自殺しようと考えるようになった」「自殺する前に、人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考え、包丁やナイフ、金属ノコギリを買って用意した」
と話しているという。
稚拙である。意味不明である。
医者になるには、東京大学に別にいく必要がない。どこでも いいはずである。なまじ、東京大学に入ると医学の使命に目覚め、一生貧乏な研究者になるかもしれない。もしかしたら、一生結婚できないかもしれない。
彼は、現実をしらないのだと思う。何か、自分自身が課したプレッシャーに押しつぶされて、自己を見失っていたのだろう。医者になるというより、東大に入るということのほうが彼にとって大きかったのではないか。成績が落ちて、東大に入れないことが、汚辱のように考えていたのであろう。人生において何をするかより、他人が自分をどう見るかが、気になっていたのだろう。そして、他人が自分をどう見るかは、自分自身が作った思いこみ、偏見であると気づかなかったのであろう。
親がその偏見を作ったかもしれない。高校や塾がその偏見を作ったのかもしれない。メディアやSNSがその偏見を作ったのかもしれない。社会が偏見に押しつぶされているのかもしれない。
学歴も職種も、人間の価値とは、なんの関係もない。何も恥じることではない。思いこみに支配されない人間にならないといけない。