映画「戦場のメリークリスマス」から原作「影の獄にて」
その中の第二部「種子と蒔く者」
昨日は、セリアズ兄弟の話でしたが、この「種」とは、「情」のことで、
過去に犯した罪を弟に詫びたことで、セリアズは、弟から「情」なる「種」を蒔かれます。
今日は映画や原作を知らない人にはネタバレとなるのでご注意ください。
セリアズは戦線に戻り、最後はジャワで日本軍に捕まります。
軍事裁判にかけられ、法廷でヨノイと会いますが、ヨノイによって死刑となるところを免れ、ヨノイの管理する収容所に送られます。
原作では、セリアズを助けたのは、ヨノイが「セリアズの顔が気に入った」からで、
セリアズが「実にさらりと、彼にそう言われた。」と言っています。
セリアズは「ヨノイも僕と同じように、あでやかな羽毛に目のくらんだ鳥仲間ってところだろうな。
あの男も・・・僕と同じさ。」
原作では、法廷の場で、二人が同時にお互いに一目ぼれしていたんですね。
原作のセリアズは、すでに弟と和解して、「情」なる「種」を蒔かれているので、
自分が何をなすべきか悟っていたのですね。
セリアズは、ヨノイが、容姿端麗、文武両道で、今まで周りから期待され続け、それに応えていかなければならない人生を送っていたと容易に察しが付くのですね。
「あの男も以前の僕と同じだ。」と。
自分の悲劇は、愛の真に英雄的な意味へと目を向けさせてもらえなかったことにある。と。
二人が同時に惚れあったのは、戦争と言う非常事態ということ、収容所という特殊な環境だったからかもしれません。
広場に全員集合させられて、皆殺しの準備中か・・?
と、思われたとき、セリアズは「誰も殺させやしない。」
「ヨノイがあんなことをやっているのも、自分に期待されていることを実現しているだけ。」と。
そして、映画の名場面となるのですが、この行為は、ヨノイの心を救うため、
捕虜全員の命を救うため、
そして、過去の姑息な自分から脱して、全員周知の前で、
堂々とヨノイへの愛を告白したということですね。
この行為は、敵どうし、同じ男どうし、人種も違う者どうし
ということで、異様な光景だったと思います。
ロレンス「彼自身の言葉を借りれば、彼はとうとう自分の意識に従って、集団的状況を個人のものとしつつあったわけだ。・・・
彼はヨノイと自分が一心同体と言う事実に、強引にヨノイを直面させた。
そうなると、人種間の問題じゃなくて、個人対個人の問題でね。」
この一件で、ヨノイは更迭、セリアズは処刑されますが、
≪処刑されるセリアズは、皆の前で、ほんのわずかの間、両手が自由になった・・
するとなんということか、彼はその機会をとらえて身体をのばし、震える片手をこちらに降って、ニッコリしようとするのだ。≫ ー 文中183ページから引用
セリアズは、してやったりということを仲間に報告しようとするのですね。自分の生の意識に従順になったことを証明したわけですから。
それに対するヨノイの答えは、これも映画の有名なシーン
処刑されて三日目の夜、満月のころ、
ヨノイがセリアズの前にあらわれて、彼の金髪を切り取り、(原作ではセリアズに向かって深々と一礼して)、去って行った
原作のヨノイは、映画とは違って、処刑されず、懲役七年となる。四年後特赦になり、セリアズの髪の毛を自分の手で故郷の神社に奉納している。
なぜ、死刑にならなかったかと言うと、これもわからないが、言えることは、
第一部「影さす牢格子」に出てくるハラの上司は、映画と違って、ヨノイではない。別人であること。
ヨノイは、ヒックスリー捕虜長の処刑を、セリアズに阻止されていること。
ヒックスリーは地位で言えば、大佐であることから、もし、あの場で処刑していたら懲役何年ではすまなかったこと。
などなど。
「影さす牢格子」で、ロレンスから語られるハラに関しては、実在したモデルの方が実名で記されているサイトを見てしまったので、ご本人、ご遺族の気持ちも考えて、あえて、ここでは書かないことにします。
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