
男に振られたか、と思ってらっしゃるの? 実は逆なのよ、あなた。さすがは当代きっての恋の達人である。現代詠は、久しぶりの自歌自賛。
ひらかなy152:あきかぜが いくらふいても くずのはの
うらみせないで すずしいかおよ
ひらかなs1821:あきかぜは すごくふくとも くづのはの
うらみがほには みえじとぞおもふ
【略注】○秋風=「秋」は「飽き」に掛ける。補説参照。
○すごく=bitterly lonesome。
○葛の葉のうらみ=葛の葉は秋の風に裏白を見せてそよぐ(裏見、
恨み)。このことから、「翻った(心変わりした)男への恨みがましい
気持ち(顔、表情)」。
○和泉式部=悠 053(09月08日条)既出。補説あり。
【補説】歌の背景。仲良しの赤染衛門が「和泉式部、道貞に忘られて後
(のち)、ほどなく敦道親王通ふと聞きて、遣はしける」の詞書を付
けて、次のように詠んだ。
1820 うつろはでしばし信太の森を見よ
かへりもぞする葛の裏風 赤染衛門
式部の作は、これの返し。だからこの場合は、長い詞書と衛門の
歌が分かって、はじめて式部の和歌が見えてくる、という仕組みに
なっている。理解の助けに、最小限の事情を記すと、本人は和泉、
道貞は和泉守、信太(しのだ)は和泉国の葛葉の名所で「忍ぶ」の
掛詞、など。衛門が、少し様子見したらどうなの、と助け舟を出した
のに、式部は気丈にも、と見るか、早くも見切りをつけて、と見るか、
はたまた、単なる痩せ我慢か、こう詠んだわけだ。男なら、武士は
食わねど高楊枝、と私は見る。