悠山人の新古今

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152 あき風がいくら

2006-02-03 07:40:00 | 新古今集

 男に振られたか、と思ってらっしゃるの? 実は逆なのよ、あなた。さすがは当代きっての恋の達人である。現代詠は、久しぶりの自歌自賛。
 ひらかなy152:あきかぜが いくらふいても くずのはの
          うらみせないで すずしいかおよ
 ひらかなs1821:あきかぜは すごくふくとも くづのはの
          うらみがほには みえじとぞおもふ
【略注】○秋風=「秋」は「飽き」に掛ける。補説参照。
    ○すごく=bitterly lonesome。
    ○葛の葉のうらみ=葛の葉は秋の風に裏白を見せてそよぐ(裏見、
    恨み)。このことから、「翻った(心変わりした)男への恨みがましい
    気持ち(顔、表情)」。
    ○和泉式部=悠 053(09月08日条)既出。補説あり。
【補説】歌の背景。仲良しの赤染衛門が「和泉式部、道貞に忘られて後
    (のち)、ほどなく敦道親王通ふと聞きて、遣はしける」の詞書を付
    けて、次のように詠んだ。
    1820 うつろはでしばし信太の森を見よ
        かへりもぞする葛の裏風    赤染衛門
     式部の作は、これの返し。だからこの場合は、長い詞書と衛門の
    歌が分かって、はじめて式部の和歌が見えてくる、という仕組みに
    なっている。理解の助けに、最小限の事情を記すと、本人は和泉、
    道貞は和泉守、信太(しのだ)は和泉国の葛葉の名所で「忍ぶ」の
    掛詞、など。衛門が、少し様子見したらどうなの、と助け舟を出した
    のに、式部は気丈にも、と見るか、早くも見切りをつけて、と見るか、
    はたまた、単なる痩せ我慢か、こう詠んだわけだ。男なら、武士は
    食わねど高楊枝、と私は見る。



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