菜の花の
月にさきだつ
明きかな 悠山人
○俳句写真、詠む。
○すぐ近くには、河津桜の綻び待ちもあり、時を待てない菜の花もちらほら。菜の花月を異名とするのは三月。「さき」は「先」と「咲き」を掛けている。
□俳写442 なのはなの つきにさきだつ あかきかな
【写真】人通りを気にしながら、自然光での撮影。
☆時之栖09
2009-0216-yhs440
いかなるや
競ひあひての
つひにては 悠山人
○俳句写真、詠む。
○貝塚息吹の高さ比べ。人の世も似たるさまにや。
□俳写440 いかなるや きそひあひての つひにては
【写真】相当高いから、鉄パイプ支柱が何本もあるが、丁寧に削除した。樹間に VALENTINO などとある。2月14日は狂騒だったが、ラテン語形は Valentinus、英語形は Valentine、そのイタリア語形が Valentino。
【memo-「醜女」末摘花】少しでも末摘花を知る人は、申し分のない光源氏がなぜ、どうしようもない末摘と関係するに至ったか、誰でも不思議な気がするに違いない。けれども大抵は頭の隅に留めてしまって、どうせなら華やかな光君や夕顔や空蝉の方が、となる。だから先月の新刊、『端役で光る源氏物語』(世界思想社、12の論集)は面白い。編者でもある久保朝孝氏は彼女を評して、「間違いなく醜女」とする。論者によれば、末摘は醜女の七条件を具えている。さらに言えば、「暗愚」だ、とまで断定。そこへ登場するのは、「端役」女官大輔女房・・・というわけだ。私の別稿「源氏物語歌集-悠山人編」では、077歌(2007年06月17日)など参照。
☆時之栖05
2009-0215-yhs439
静謐の
時ありてこそ
まさきかれ 悠山人
○俳句写真、詠む。
○今でも「東司」は寺などに残るが、「厠」「憚」「便所」「手水」などは、現代語としては死語になった。日本語勢は辛うじて「お手洗い」が残り、ほかはすべて「トイレ」になった。施設内では、日本語(トイレ)・英語・北京語・韓国語がよく見られる。写真の一室には、冬季でなくても陶器の暖かさ・清潔感が漂う。健康は余人の計らざるところに徴(しるし)あり。「まさきかれ」は「will be healthy」。
□俳写439 せいひつの ときありてこそ まさきかれ
【写真】前出センターで。
☆時之栖03
2009-0214-yhs438
高峰は
時のうつりて
なほたかし 悠山人
○俳句写真、詠む。
○近くで見上げるこの山は、瞬時にして景観が変わる、「活火山」である。
□俳写438 たかみねは ときのうつりて なほたかし
【写真】風景の激しく流れる車中から、窓ガラス越しに撮影。
☆時之栖02