徳島城は
秀吉四国平定の後
蜂須賀家政が吉野川河口の山に築いた
悌郭式平山城
標高61mの山頂に本丸を築き
周囲の自然河川を巧みに利用して
東に内堀を配し
石垣は阿波の青石を
高石垣として築き
西の丸の石垣は屈折を繰り返し
横矢がかりの工夫がわかる
天正13年から明治8年まで
280年間蜂須賀家の居城で
お濠に面した脇戸つきの薬医門
「鷲の門」が瓦と共に
残された建物(再建)で
昔を忍ばせる
ボルトノキが当地の銘木とか
幹の太い先に葉がところどころ
赤く染まりそれが実で有るかの様な
不思議な木が本丸近くに生えて
在し日の天守を想う
蜂須賀家の入封と
徳島城の完成を祝って
領民が無礼講で踊った踊りが
阿波踊りの起源らしい
蜂須賀家政公銅像での表情は
いかにも領民に好かれる様な
温和な顔で阿波踊りも
さもありなんでした