6丁目のつぶやき

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洋学盛んな宇和島城

2019-11-29 | 
司馬遼太郎の幕末期活躍した
大村益次郎(村田蔵六)の物語
「花神」を読んで
蔵六が日本初の蒸気船を作るために
松山と高知の中間に位置する
過疎地宇和島藩へ
行くが・・・

当時蘭学は宇和島藩と言って
日本有数の洋学盛んな藩と・・・

古式豊かな優美な城は
南と西が豊後水道の
海に面して
東と北に堀を巡らす
城塞堅固な悌郭式平山城で
藩主の意向が伝わりやすい
こじんまりした縄張りだ







城の名手藤堂高虎が6年の歳月をかけて
平城の近世城郭を築き
江戸時代に伊達政宗の長男秀宗が
入封して明治まで続いた

天守は三重三階の総塗籠式の
狭間も石落としも無い
軍事的要素より
千鳥破風や唐破風のある
装飾性の高い城だった












天守閣には珍しい書院造で
障子と天井があり
住宅としての機能も兼ねていたのか?



城下は南西の海も
堀も全て埋められ
商店街に変わってしまった
当時とはまったく
変わった風景になり
これも現代ならではと・・・

現存12天守の一つのためか
柱も継ぎはぎだらけで
傷ましいが




これがかえって歴史を想起させ
刻まれた年月に魂を感じる 貴重な天守に愛着を感じ
はるばる宇和島まで来た
甲斐があった

コメント (1)
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