「なぜ人々は、誰もいない山道でもマスクを着けたまま歩いているのか?」
読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここのところ、改めて斎藤緑雨のことを調べ続けています。彼の「嫌われぶり(笑)」の実態(「嫌われる」ということ、「社会に背を向ける」ということの意味)を知れば知るほど、彼の時代から130年ほど経った今も、「美しい日本」の「正義の国民」の本質が全く変わっていない、ということが如実に浮彫りになってくるので、つくづく情けなくなってきます。
坪内逍遥、二葉亭四迷、山田美妙、内田魯庵、森鴎外、幸田露伴、饗庭幸村、森田思軒、黒岩涙香、尾崎紅葉、広津柳浪、川上眉山、泉鏡花、小杉天外、馬場孤蝶、野崎左文、半井桃水、夏目漱石、幸徳秋水、樋口一葉、、、、仮名書魯文。思いつくまま、彼の時代の作家を並べてみました(「稀代の嫌われ者」と言う割には、同時代の作家に結構愛されていたみたいなのですが、、、)。
前回予告のとおり、2021年4月8日の「裏山散策」から、
★ “マルバアオダモ”で考える、“半人為的空間”雑木林(里山)の成り立ちの常識に対する疑問
★ 謎のモンキチョウ&キチョウ(新世代のモンキチョウよりも越冬後のキチョウのほうが新鮮であることなど、、、オスの存在意義について)
★ 恐怖のマスク・マン~なぜ人々は、誰もいない山道でもマスクを着けたまま歩いているのか?
を、順に紹介していく予定でいたのですが、先に「恐怖のマスクマン」から始めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天気が良かったので、午前10時前に「霞(かすみ)丘陵」の探索に向けてアパート(マンション霞)を出発、途中のファミリーマートで税込102円の「ハッシュド・ポテト」2個と税込100円の麦茶のペットボトルを買い、セブンイレブン、ローソンの横を通って霞川に下り、2つ目のファミマを過ぎて左折すると(観音様の公園がある)霞丘陵の入口です。アパートからの所要時間約25分。
入口の向かいの民家の玄関の表示。
青梅線の別の駅の近くにあった(前にも何度か紹介した)、こんな表示があったことを思い出しました。再掲しておきます。2019年 西立川駅付近にて。
民主主義の国・自由の国・美しい国「日本」。
上から命令されなくても、自分たちの自主的な「自由」な判断によって、整然と統一された社会が構築されている日本は、なんて素晴らしい国なのでしょうか。みんなが互いに思いやりをもって、みんなでルールを守る(異質を排除する)。権力から監視されるのではなく、自分たちで相互監視する、、、それこそ民主社会です。
こちらは中国。2019年。広州市(中国のアパートの近所のバスターミナル)にて。
この「計12文字熟語」が、中国の至る所*に展開しています。一日外出していると、10か所以上、いや、100か所近く遭遇するんじゃないでしょうか?
*たぶんウイグルやチベットにも在る。むろん台湾と香港には無い。
一党独裁共産党の、有無を言わせぬ国家命令ですね。絶対的に従わねばならんので、一応「自由」の文字も入ってはいますが、(たぶん)「自由」とは程遠いのです。一党独裁悪の共産主義に押し付けられた、偽の「自由」「友愛」etc.で構築される、出鱈目国家・中国。中國では、コロナに際しても、ずいぶん以前から皆(日常的な場所では)マスクなんてしてません。自己中な人達ばかりだから、上からの命令がない限り、各自勝手(「自由」とは似て非なる言葉?)に行動する。←以上、一般的な日本人としての感想。
*ちなみに、上掲の中国のスローガン、別に間違ったことは言ってないですよね? “嘘っぱち”なのかどうかは僕は知りませんが(少なくても日本の国民の多くが“嘘っぱち”だと思っていることは確かでしょうけれど)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
完全な人工物(植栽園芸ツツジ)で形成された素晴らしい“自然景観”の公園の裏道を少し登ったところで、霞丘陵の尾根に出ます(“丘陵”とは言っても街中から川岸に一度下りたぶん僕のアパートの場所と比高はほとんど変わっていないと思う)。整然と手入れの為された公園的環境から一転して、何もない雑木林です。
シンプルなベンチがある谷戸の末端部に少し下って、再び少し登り返すと駐車場。そこからソメイヨシノ並木の舗装道を七国峠方面に数10m進んだところが、今回僕がモンキチョウやキチョウを観察しているタンポポの草原。公園の入口から15分ぐらい(アパートから約40分)で、周囲は見事に気持ちのいい雑木林に覆われています。
4月8日、午前10時過ぎから午後2時少し前まで、「マスクマン(含むウーマン)」を観察しました。
出会った人々は、併せて27人、さりげなく(風景を写すふりをして)全員の写真を撮りました。(最初に出会った親子連れと、ミツバチ養蜂の兄ちゃんには了解を得た)。
内訳(年齢については概ね見た目50歳辺りを目安に老若を分けた)は、
>12人グループが1組。老年(たぶん男6女6)。マスク着用11人/非着用1人(男、グループの後ろ10mほどの所を離れて歩いていた)。
>2人づれ2組。一組は親子(マスク非着用)。一組は老年(男マスク着用/女非着用)。
>単独行10人。老年(男3) 若年(男4女3) 。全員マスク着用。
>作業者1人(ミツバチ養蜂)。若年(男)。
面白いことは、特殊防御網を装着したミツバチ養蜂者を除く26人中、マスク非着用の4人が全てグループ行動の一員で、単独行の10人は全員マスクを着用していたこと。もちろん単なる偶然で深い意味はないと思いますが。
モンキチョウ・キチョウの撮影時に見落とした人を加えると、4時間近くの間にこの山道を行き来していた人は、35人~40人前後ではないかと思います。その大半の人々が、他に誰もいない山の中で、マスクをして歩いているわけです(*花粉症除けを兼ねている可能性もあるだろうけれど、、、僕は花粉症に罹ったことないのでよく分かりません)。
今日、最初に出会ったのは、雑木林に向かう坂道を登ってきた親子連れです。意外なことに、マスクしていませんでした。「人間」がいた!と思いました(マスクしている人は、なんだかロボットのように感じる)。
僕:
>雰囲気がとても素敵なので写真を撮らせて戴けませんか?出来れば、もう一度坂を登り直して貰えれば、、、(ずいぶん不躾なお願いですね、^^;)。
お父さん:
>雰囲気が素敵なんだって!じゃあもう一度登ってこようか。
女の子:
>うん!
*以下、使用写真は顔の特定は出来ないと判断したものだけを選びました(最後から2枚目のだけは暈しを入れました)。
僕のペットボトルとハッシュド・ポテトがベンチの上に見えます。
最近は黒マスクが増えてきたようです(香港デモを思い出す)。
12人から成るお年寄りグループ。末尾の男性一人(写真には写っていない)が、ノー・マスクでした。
濃い青色のマスク。中国では主流だったのですが、日本ではかなり珍しいと思う。
何を想って、マスクで一人歩く、、、。
ミツバチ養蜂の人。数日おきに来ているみたいです。毎回挨拶してます(とても感じの良い方です)。
前を歩く女性はマスクしてなかった。
山菜を採るのにマスクは必要なのでしょうか、、、?
続・何を想ってのマスクで一人歩き。
この人のマスクは結構カラフルだった。
蕨を採っているのだそうです。
入口にて。つまらないので登らないとのこと。
若い人は、マスクで元気に丘を登って行きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ人々は(殊に日本人は)マスクをするのでしょうか? マスクをすることは、人類の将来にとって、どんな意味があるのでしょうか?
僕は「マスク否定論者」なのだけれど勘違いされると困るので訳注を加えておくと、「(原則)コロナをただの風邪」と見做しているのは、「経済を回すため」ではありません(むしろ逆の立ち位置)。また、 「ワクチン拒否論者」でもあるのですが、副作用を恐れて、云々、ではありません(全く異なる次元からです)。ちなみに、マスクはいつも持ち歩いているので、「しろ」と言われるところではします。ワクチンも「打て」と言われれば打ちます。個人の感情で拒否しているわけではないので。
「マスク」着用の是非とか、「ワクチン」接種の必然性、とかは、どうでも良いのです。そういった問題なのではなく、もっと根源的な次元に於ける捉え方が、今の人類に求められているのではないか、と思うのです。
(「下」に続く)
付記:
三世のツイート「NHKやヤフーニュースを信用できるかどうかも考えたい」がアゲインストの風に晒されている(曰く、「各国の政府機関や団体が纏めた信頼できる情報を否定するだけなら個人の勝手だが、“フェイクニュース”の方を信じて“拡散”してしまうのは大きな問題である」)ようなので、助け舟を。
>コロナ(マスク、ワクチン)については、問題を議論するよりも先に、例えば、「ロジカルとは何か」「事実とは何か?」「科学(含・医療)とは何か?」「文明とは何か?」といった、根源的な要素を俯瞰的に捉えてからでないと、語れないと思います。ちなみに、僕は“信頼出来る情報”など信用していません。「コロナは、ただの風邪(=非常に恐ろしい病気)と思ってる派」です(笑)。