おまん地蔵(田野町 田野市民運動場西側)
田野へどこからか来たおまん婆さんは赤子の間引きを手伝ったそうですが、死んだ子供たちの供養に地蔵をたててどこへともなく立ち去ったという伝説があるそうです。地蔵には、「明和6年」、「古士巻(こしまき) 山野坪中(つぼちゅう)」と刻まれているそうです。
中根寺(加倉井町595)
中根寺は真言宗豊山(ぶざん)派の寺院です。本尊は延命地蔵で、平将門(たいらのまさかど)が乱を起こしたとき、そのようなあやまちをしてはいけないと意見をしたという伝説があり、「平将門意見地蔵」といわれているそうです。
三の丸2の延命地蔵(三の丸2-4 柵町水郡線踏切から国道51号線トンネルへ行く途中)
昭和20年の空襲で町内防空壕で亡くなった被災者8名と、町内出身の戦死者3名を慰霊した地蔵だそうです。8月2日に供養が行われているそうです。
首無し地蔵(渋井町 福徳弁財天すぐ南)
臨海線建設で移動したりして狭くなっているようですが、高架脇の小さなお堂の中にあります。坐像で余り地蔵らしくありませんでした。江戸時代に赤沼牢で処刑された人たちの供養ということでたてられたそうですが、石仏の首のないことは、それと関係があるのでしょうか。福徳弁財天の首無し弁天伝説があったり、「頭(かしら)なし」という小字があったりしたようですから、なにか物語はあるのでしょう。ちなみに、各地の首無し地蔵は、明治の廃仏毀釈が関係していることが多いようです。かつて福徳弁財天で行われていた十九夜の女人講では、この地蔵の前へ来て「南無頭無延命子安地蔵尊 南無阿弥陀仏 なむあみだ」という念仏が唱えられたそうです。
北向き地蔵(元吉田町2574)
野木神社の境内にある地蔵です。北向き地蔵は少ないといわれていますが、八幡町にもありました。忌むべき方向である北を向いて衆生を守っているという説が一番分かりやすいようです。