どれも今はほぼなくなってしまった信仰のようです。かつては信仰、信心が生活の相当な部分をおおっていたのでしょうから、もっとずっと多くの信仰の形があったことでしょう。
安産の加持符(六地蔵寺 六反田町767)
寺で頒布する安産のお守りには、経文を書いた紙と4包みの加持符が入っていたそうです。出産の日、妊婦が産床に入ると、まず1の札を飲み、さらに30分おいて1枚飲み、それでも生まれないときには残りの2枚を飲めば無事出産するといわれていたそうです。出産後にはお守りを返して、改めて寺から成長のお守りをもらったそうです。
地方神(じかたがみ 酒門町36°21'20.3"N 140°29'41.1"Eあたり)
古くからカサモリサマと呼ばれ、痔や梅毒、重い皮膚病などに霊験があるとして信仰されたそうです。土で作った団子をお供えして、病気が治ると本物の団子や素焼きの壺型お宮(カワラホウデン)などを奉納したそうです。戦中は、出征する兵士が、酒門神社に参拝した後、この神社に千社札を張って参拝したそうです。
お袋様(大井神社 飯富町3475)
境内に色々な神が祀られている大井神社ですが、お袋様もその一つです。母親に対する信仰を形にしたらしい素朴なもののようです。氏子が奉納した人形が並んでいます。
山入り(柳河町等)
カラス・カラスともいうそうです。1月6日に山に入り、御幣、餅などを山の神に供え、カラース・カラースと叫んで、山仕事の安全を祈ったそうです。枯れ枝等を家に持って帰り、それでご飯を炊いたそうです。柳河町、内原町、国田地区などの郷土史本にありますが、山仕事は広く行われていましたから、似たような行事は多くの地区であったことでしょう。
青屋箸(水戸全域)
6月21日に、茅(かや)の箸でうどんを食べるという、茨城県だけにある習慣があったそうです。石岡にあった国府で、国司が着任の時に鹿島神社へ舟で参拝に行くのが通例だったそうですが、荒天で行けないときに、浜に茅で仮屋(青屋)を作ってそこから鹿島神社を遙拝したそうです。それが民間信仰として広がったようです。大掾氏はこの祭に参加するために水戸城を空けた間に、江戸氏に城を奪われたそうです。写真は青屋神社(石岡市総社1-4-32)です。近世は青屋の馬場と呼ばれるこの神社あたりで青屋祭が行われたそうです。
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