2017年 完成披露試写会「雨の首ふり坂」
今年は試写会の「当たり年」らしいです。
゛7月に川口の「SKIPシティ映像ホール」で催行された「少女ファニーと運命の旅」の先行特別試写会に行ってきたばかり ゛……と思っていたら、やはり同じCATVより、12月5日・有楽町「丸の内ピカデリー1」で催行される完成披露試写会「雨の首ふり坂」の招待案内が、舞い込みました。
「時代小説の大家・池波正太郎には、「劇作家」として活躍した時代があった。池波は戦後、東京都職員として勤務するかたわら、作家・劇作家「股旅もの」の生みの親でもある長谷川伸に師事。劇団「新国劇」とも関わりを持つようになる。1951年に戯曲「鈍牛」が島田正吾出演によって処女公演されたのを皮切りに、以後は9年に渡って、゛座付き作家 ゛と呼ばれるほど、次々と新国劇のために脚本を執筆した。それから、10年弱の月日が流れ、池波が劇団のために執筆した「風林火山」が上演されると、新国劇は、池波に新作戯曲の執筆を依頼。名優・島田正吾のために執筆したのが、73年初演の「雨の首ふり坂」だった。当時の池波は、68年に始まった「鬼平犯科帳」に加え、72年からは「剣客商売」、「仕掛人 藤枝梅安」の雑誌連載を抱え、小説家として多忙を極めていた。自分の物書きとしての原点ともなった新国劇のために、この仕事を快諾。71年に雑誌「太陽」に発表した短編小説「雨の杖つき坂」を土台に設定や構成を新たに練り直し、戯曲に書きあらためられたのが「雨の首ふり坂」だった。
池波は、自ら舞台の演出も担当し、島田正吾ら出演者の演技にも細かく注文を付けたという」 (「雨の首ふり坂」パンフより抜粋)
テレビドラマの「鬼平犯科帳」や「剣客商売」を好んで、視聴していましたので、゛池波正太郎 ゛の名前を見て、試写会に申し込みました。
(「雨の首ふり坂」パンフ)
無頼の徒として殺しを請け負う渡世人、「白須賀の源七」の渡世稼業での窮地を救った女を、孕(はら)んだままに、捨てて逃亡した後の27年後の因果応報、縁(えにし)のなせる事の結末が、池波文学の中でも数少ない「股旅もの」の短編作品を際立たせる内容となっているのか? 劇中、源七の逃亡する時に、女に与えた分け前の一握りの「銭袋」、思わぬ所で、思わぬ役目を果たした「銭袋」の出現はいずこで……? 見応えのある映画でした。
映画の謳い文句は「作家が名優のために執筆した戯曲を初映像化!」。
「雨の首ふり坂」・「雨の杖つき坂」の短編集を収めた「上意討ち」(新潮文庫刊)を紐解きたくなった映画でした。
A&Kの試写会での座席はE-?席と、座席に寄りかかって見上げるほどの位置でした。映像の迫力と割れんばかりの音響は、スクリーンに対しての集中力を増幅させますが、限度を超えたものがありました。
今回の試写会には、゛オマケ ゛がありました。主立った出演者の登壇があり、コメントが聞けることです。主演の中村梅雀、三浦貴大、中尾明慶、泉谷しげる、大杉漣と河毛俊作監督が壇上に出揃い、制作上の裏話や撮影時の人間関係などに関してのコメントがありましたが、Aが面白いと思ったのは、監督のコメントでした。
「画面に登場した渡世人は、子供が遊びに夢中で、暗くなって、帰り道が分からない。そのまま大人になって、人生を彷徨っている様、そのもの」(不正確ながら?)との内容が、印象的でした。
都心に出る機会が少ないので、Kの要望に応じて、かつてAが仕事で立ち寄った焼肉店「JA全農ミートフーズ直営 焼肉 ぴゅあ」で、夕食を済ませました。