卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

K と 帰 省

2013年01月05日 12時14分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 「家が出来たので、是非来て欲しい!!」と、相馬の義兄さんより嬉しい連絡があった。今年は、カレンダーの日取りも良いので、前半にK共々伺うことにしていた。冬期に車で相馬へ行った記憶は、ほとんど無く、雪道の運転には不安があった。タイヤやチェーンは、最新のものを用意していたが、テクニック(経験)が、全く備わっていない。

○新築の実家で、生青のりを頂く

 12月29日、田舎に行くときは、数日間でもあれやこれや大層な荷物を積み込む。心配していた磐越道・阿武隈高原SA付近は、降雪の名残があるだけで、白石ICまでは、問題なく走れた。いつもは、福島西ICで下り、霊山を通るが、さすがに残雪と凍結の゛七曲がり ゛が怖く、角田経由で3時近く、相馬に着いた。
 義兄さんに真新しい家を案内され、早速ねぎらいのビールを頂いた。付け合わせに「生青のり」が付いている。「まだまだ商品にはならないが、浦の復興の先駆けとして少量獲れたものだよ!」、との事。ポン酢を少々で頂くが、お代わりをしてしまった。汐の香が漂う、透明な緑色の食感は、実に舌触りが良く、美味しい。

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          (新築されたKの実家)


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         (珍しい生青のり)


○津波の爪痕と復興の歩み

 浦の再生の証しの「生青のり」を昨日頂いたので、港の復興がどうなっているのか気になって、卸売市場を見に行った。漁業組合施設、卸売市場・ポートビル周辺は、昨年12月に来た時と何も変わっていなく、手付かずの状態。松川浦大橋も通行止め。殺伐とした爪痕だけが、残っているだけだった。

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      (爪痕生々しい卸売市場)


 いとこのE子さんより、「飯豊郵便局の方に、復興住宅が出来ているらしい?  抽選で、3月より入居が始まるらしい。…5年間は家賃払いで、その後入居者に優先的に払い下げられる…という事。平屋、2階建てなど幾種類かあって、磯部の被災者が対象とか!」、という話を聞き、回ってみる事にした。

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      (市発注の災害公営住宅)


○大晦日の松川浦港

 朝食後、暇に任せてD7000を持って、港に出た。人通りの寂しい町並みを、浦から吹き上がる海風が、抜けていた。3.11まで観光客で賑わっていた、海産物直売センター跡地の駐車場は、静寂が漂っていた。……見たことのない数の漁船が、港の全ての岸壁を埋め尽くしている。中型、小型がほとんどで、潜水作業船もある。陽光に輝く白い船体が、反射してまぶしい。突堤の先まで行って、写真を撮った。

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○気を惹(ひ)く言葉

 朝食時、何の気無しに、実家の菩提寺から配られたカレンダーに、゛ それらしい ゛言葉を見つけた。私は、「気の利いた言葉」・「一寸考えさせられることば」などが好きで、どこか! …探している。昨年、不動尊公園の幟(のぼり)で、「負けねど がんばる 明日を夢見て!」を、見つけた。

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P.S 帰りの磐越道、「久ノ浜・亀屋旅館」のその後が、改めて気になった。


   ゴルフお仲間のM氏が主催するD会のプライベート・コンペ(夏期合宿と称した)で、数年にわたって宿泊した思い出の「料理旅館」である。造りは古いが、料理の割に何より安い!  初めての宿泊・¥6,500(一泊2食付き)を皮切りに、以後さほど値上がりもなく、酒類・その他もろもろ・持ち込みOK、女将の愛想もそこそこだった。゛ 半身の鯛のかぶと煮 ゛と、゛ オコゼの唐揚げ ゛を、私は気に入っていた。私達が泊まる、「旧・海の記念日」近辺は、さして宿泊客も多くはなく、…10人前後の団体客は、歓迎された?……と、思っている。

 3.11の被害にあった……と聞いており、気になりながらも、そのままになっていた。ここ1年半、グループが会合する時には、その話題が何かしら、出ていた。

 確かめるべく、常磐線久ノ浜駅前を進んだ。見慣れた一帯は、堤防の向こうに海が唸りを上げていた。あるべき建家が一軒もなく、そこから海が素通しで見渡せた。やはり、Webサイトの情報は、正しかった。……津波が襲い、火災で周辺が焼け落ちた……との、話だった。


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(見覚えのある風景・小さな風呂跡があった)
  


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