管野千代子写真展「仮設住宅の暮らし」へ行ってきました!
部活OB会の「年度会報」を昨日の6月20日、何とか発送を終えました。
6月4日に「大学会館」での総会を開催、晩の懇親会も和気藹々(あいあい)の盛会に無事終了しての後の、締めくくりの会報発送でしたので、一段落付いた気持ちです。
(管野千代子写真展「仮設住宅の暮らし」案内葉書)
中国大陸から続く梅雨前線の雨雲は、西日本の長崎・熊本・大分、愛媛をうかがっており、相当な雨量が予想されていました。
6月21日、写真展会場のビル・新宿エルタワーに入る頃には、雨が降り出しました。気温も上がり、蒸し暑さを体感します。このビルには、地下通路経由でJR新宿駅から濡れずに来られるので、結構便利です。私は、Nikonの講習会や、管野先生の「「飯舘村の暮らし」から」写真展が開催された時にも来ており、幾分慣れております。
10時半の開場で、管野先生にご挨拶し、先生の各地写真展の開催に協力して頂いているとのプロデューサー的な女性の方を紹介して頂きました。機敏で無駄な動きの無い方で、その話し方より、知性的なものを感じさせる方でした。旦那さんは、南相馬の報道関係の方で、その関係もあって、津波・原発事故関連の活動には、活発に動かれているとの事でした。
先生に言わせると「私の写真展開催活動には、なくてはならない方!」との話です。
(モノトーン調の落ち着いた会場)
先生にお会いして、折々の会場で、その趣旨・撮影のヒント、その気持ちを伺う機会を都度頂きました。「お手伝い」・「ご協力」などの言葉を引っさげてお邪魔していますが、初心者同様の私には、このような場では為す術(すべ)もありません。今日もまた、私が僅かに提供できるものの、数倍・数十倍の収穫を携えて、会場を後にすることでしょう。
鑑賞されている方が、作品の前で立ち止まり、一応に先生に問いかけていられました。
「この自然に屈託の無い笑いを、どうやって引き出されるのですか?」
「飯舘村については、受賞写真を撮り始める以前より、仮設住宅の写真については4年以上、概ね ゛ここ! ゛と決めたところへ通っています。お互いにある程度の気心が通じた中でのシャッターチャンスになります。被写体の中の皆さんすべてと知り合いという必要はありません。お一人でもお二人でも知っている方が入れば、初対面の緊張した場とは異なり、結構、素顔が撮れると思います。いかに、時間を割いて、テーマに臨むか?……ということになるかと思います。」
「仮設住宅の皆さんは、訪問すれば笑顔で屈託無く迎えて、話が弾むこともありますが、また普段に戻れば、自分の殻に一人で閉じこもってしまいます。それぞれの事情があり、それぞれの生活は変わらないのです。復興住宅が整備され、そちらへ移られる方もおりますが、仮設住宅の集団性を好んで、移られるのを躊躇する独居者の方もおいでになると、うかがったこともあります。」
お昼は、「桂花ラーメン新宿末広店」で、太肉麺(ターローメン)を頂きました。もう30年は、通っているかもしれません。新宿三丁目の1本路地を入った裏通りで、豚骨の癖のある味の虜になって、新宿に来ると寄ってしまいます。店内の壁に古びた新聞記事の切れ端が貼ってあり、「東京出店第1号店・出店昭和43年(昭和44年の記事)」の内容と写真が見て取れます。
1時頃、Kが案内を差し上げた2組の方々が、鑑賞に見えられました。私も面識のある方々なので、ご一緒しましたが、管野先生が作品についての説明を、事細かく説明されていました。2組のそれぞれの女性の方は、Kと同郷同窓のお友達のため、「Kの体調不良の来られない理由」を聞いて、心配して頂きました。
やはり、今回の写真展でも、得ることの大きさは、結構ありました。先生の「地元より外に出て、新境地が見いだせました。写真展を各地でやって、良かったと思います」との、言葉が印象的でした。
……磐梯熱海の会合で! ……郡山の時に! ……福島の写真展で! ……仙台の写真展で! 先生に問いかける方々は、どこかで、何かの接点を携えて会場に来られていました!!
P.S.
会場のどなたかに外から連絡があったようです。「今日の読売に、写真展の事が掲載されているらしいですよ!!」
(読売新聞 6/21朝刊の写真展掲載の記事)
(写真展内の管野先生のご挨拶文)