管野千代子写真展 「仮設住宅の暮らし」 開催案内!
写真作家・管野千代子先生には、「こちら方面でご協力できる事があれば言って下さい!」と、以前よりお伝えしてありました。
4月中旬、新宿ニコンサロンでの写真展開催の葉書が届き、「ご協力、よろしく、お願いします」との文面が、一言添えられてありました。
(写真展案内の葉書)
(開催場所は新宿のニコンサロン)
Kは先生より頂いた幾枚かの開催案内葉書を友達、知り合いに配ったようで、初日よりA&Kで会場へ出向く予定です。開催1週間のうちどの位会場へ出向き、ご協力できるか分かりませんが、極力お邪魔して、お役に立ちたいと思います。
故郷を追われ、故里を懐かしみ、自然の天災に怯え、未曾有の原発被害に憤る、そして、未来を見つめる、その心情をカメラを通して訴える、40枚のカラー作品を是非鑑賞したいと思います。
仮設(住宅)では、やはり、3.11の津波で被災したKのお兄さんご夫婦の事を、忘れられません。当時の備忘録としてメモしたものを抜粋して、読み返してみました。
………1週間前に、「仮設住宅に入ったわよ!」と、お義姉さんよりKに連絡がありました。私達も「一区切り着いた!」という思いで、2回目の相馬行きを決めました。2ヶ月前は、寒さしのぎの衣類が多かったが、今回は薄手の夏向きのモノを幾らかKは用意したようだ………
………6月3日(平成23年)、仮設(住宅)は、すぐに分かりました。阪神淡路、新潟沖などの震災で、テレビ画面に映る住宅群を見ていましたが、実際に被災者の家族として入っていくことには、多少緊張しました。入口の網戸の向こうでお義兄さんご夫婦が迎えてくれました。「母さん(今は他県に移った)を含めた3人分での仮設申込みをしたので、幾分広いが、夫婦二人だけなら一部屋だけだよ!」と、お義兄さんが、苦笑いしながら話します。その表情には、被災直後の一時避難で身を寄せた、学校の体育館では見られなかった、幾らかの安らぎみたいな様子を感じました。
4畳半が二間(テレビ付き、一部屋にはエアコンがありました)にユニットバス・独立トイレ、生活家電が揃ったこぢんまりとした台所。寝起きしている部屋には、押し入れもどきの納戸(扉は無く、自作手引きのカーテン)がついており、僅かな収納を、やっと確保しています。
「千葉の長男が来て、台所の床張りや納戸の棚を作ってくれたの!」と、お義姉さんが、頼もし気な長男の様子を話してくれました。「夏は、屋根が焼けて、大変そうだね!」と切り出すと、心配顔でお義兄さんは、低い天井を見ました。冷蔵庫には、赤十字のマークが付いています。「長男は、室内を見て色々写真を撮っていったわ!」と、お義姉さんが言っているそばで、私もカメラを出しましたが、1枚撮るのが ゛ やっと ゛でした。窓の網戸越しに、号棟の間を通り過ぎる人の立ち話が、゛ ハッキリ ゛と聞こえました。
「壁も薄いんだよ。仮設だからね!」と、ポツリと一言、お義兄さんが言いました。………
………「夕食を仮設で一緒に…、どうぞ!」とのお誘いをお義姉さんより頂き、甘えることにしました。「この弁当が1人1食分、夕飯だけ、市役所より1年間、仮設の各号棟に配られるんだ。うちは3人分来る。若い人には足りない量だが、私達には適当かな? 残す時もあるんだよ!」と、写真の弁当を見せられました。
新聞で、゛ 食事などの支援が無くなるので、仮設には入らない ゛との記事を読みました。ここは、まだ、良い方なのかもしれない。自治体によって、それぞれの事情が違うらしい………
(平成23年6月3日 仮設でのお弁当)