身体フリーズ

2009-01-24 13:44:18 | 日記風
 この所の私はじっとしているということを知らない。
 実にアクティブだ。

 不思議なもので動けば動くほど動けるようになり、それが億劫でなくなる。
 動かないとこれとまるで逆の現象が起きいよいよ動くのが嫌になる。

 そういう意味では流れに乗るって必要なことね。
 私は動くって流れね。

 そのせいかめっきりじっとして何かを書くことが嫌になってる気もするけど。

 両方を満遍なくって難しいわ。どっちかに重心がかかればどっちかがお留守になる。

 その間に上手くバランスがやはり取れない。

 最近動かし続けている身体は日々妙な筋肉痛を起しているし。
 それだけ身体がフリーズしてた時期が長いってことなんだけど。

 今日は昼間は少し家でのんびりして、雑事をこなすかな。
 

人魚姫にはなれないけれど

2009-01-24 11:55:06 | 戯曲塾
 表現と言うものを捉え違えていたと思う。

 この間、舞台を観たんですが、それを観ながら、ここ数日考えていたことの答えがでました。

 勘違いしてたな。
 
 それが答えだった。
 表現とは考えれば考えるほど奥深いものだ。

 人の心を言葉であれ、捉え現わそうとするんだものね。そりゃ深いわ。
 知らず知らず甘えていたのかもしれない。
 舐めていたのかもしれない。
 
 そうなったらもうお終い。そこで止まる。
 
 けれど更に求めるなら、それは1つ1つヴェールを脱ぐように私の前に現れるかもしれない。
 
 そうやってヴェールをめくり、まるで奥深い山の中に1歩1歩進むように姿を現すものかもしれない。

 ここまで来てご覧。
 あんたにこれるの?

 さあ、おいで。
 
 どこかで天使のような悪魔のような、計算高い魔女が呼んでいるのかも知れない。
 
 例えそれが罠だたっとしても、落とし穴だったとしても。
 進むしかないわな。

 愛する王子の元に行きたくて足を手に入れたくて家族も声も失った人魚姫のように。
 ただ行きたくてただ側にいたくて、それだけで全てを捨てる心、それも凄いものね。
 
 表現にのめりこむ私は、誰も止めなくていい。
 どこへ辿り着こうと私はそこへ向かうから。

 何を失おうと、必ずその代償はいただきますよ。
 そういう意味では童話の世界の外の女はしぶといです。