否定をされることがいや。
本当にいや。
それでもある頃までの日本って職場でも親でも否定して育てるのが当たり前だった。
ある頃から誉めて育てるって方向に変ってきたけど、私の子供時代なんてまだまだ否定して育てるのが当たり前だった。
私の親はそれが強かったですね。
打たれ弱いと思われることが多々ありますが、打たれ強いんですよ。
だって親の教育方針が打って育てることだから。打たれることにより凄い力を出すのね。
火事場の馬鹿力って奴かも知れない。身を守る悲壮な心からの叫びだったのかも知れない。
でもさすがに最近は誉めて育ててと言いたい。
打たれても打たれても痛みを感じることに変りはないのね。その都度立ち止まって考えて反骨心で立ち上がる。それしかないんだ。
でも実際誉めたらいい気になって努力しないと思うのね。
後遺症って奴よ。
誉められずにけなされて否定されて育てられると、危機感を感じないと努力をしないと言う後遺症が出るのよ。
でも誉めて育てて。
誉めて育てた方が伸びが速いと思うのは気のせいでしょうか。
分野によっても違うのかもしれないけど、スポーツなど若い時が有利でしょ。
芸術の分野だと必ずしもそうとは言えない。
ただ体力的な問題を考えるとある程度の若さがないともう無理がきかない恐れもある。
一般的に言っても30~40代が働き盛りでしょう。
経験が物を言う50代以降もそれなりのやり方はあるんでしょうが、体力的なリスクは確実に背負う。それ以外にも自分の家族、自分の両親、背負うものは増えていくと思うんだよね。
だったら、やはり30~40代の馬車馬の如く働ける時期に基礎を作らなければならない。
それまでに打たれて育てられると・・・結構きついことになると思うのよね。
毒素が溜まるって言うか、長年否定された感情は渦巻いてる気がするのよね。
それを越えてもやれやーってことなんだろうね。
それを越えられるかが不安になるのが、否定されて育てられた場合なんだけど。
誉められて育てられた方はそこが根底にあるのが愛情だったり自信だったりするから、いろいろ困難に出逢っても、でも愛された記憶が支えてくれると思う。
・・・違う気がする。
否定された反発感から、反骨心で立ち上がるしかない者にとっては。
今更言ってもしょうがない部分も多いんだけど、できれば、せめてこれからは誉めて育てて。