現代の荒野から 石牟礼 道子
現代社会の中に水俣を浮上させてみると、いまだ読み解かれぬ仏典や、聖書の地にいる気がする。
人の罪あるいは神の罪がここに甦り、わたしたちはより重い贖罪の時代にはいった。
そのような意味で、ここは選ばれた聖地であり荒野である。
仏典や聖書は現代においては生ま身の苦しみを描いた倫理の規範だけれども、生きている聖地には毒と血がながされる。
現世に居場所を失くした異形の人々に神の面影が宿るのは、その心と軀から流される血のゆえである。
このような世界に生きていることは真実に恐しい。
ここには神が造り給うたものがなんでもある。
神話的次元での残酷と野蛮と偽善と策謀、
絶望の底の愛と戦いがあり、
神もくつろぐ野のエロスまである。
そして人は、おのが中身に見合った外貌をつけて秘蹟の場所にあらわれる。
神の讃えと罰とが峻別されて、そのとき、人々の表情にあらわれる。
ユージン・スミスとアイリーンは、そのような表情の瞬間を人間的肉眼でとらえ、現代の聖画を再構成して見せるのである。
過去の誤りをもって、未来に絶望しない人びとに捧げる。