前川は、高線量の被曝をした患者の前では自分達がまだまだ無力だということを思い知らされた。
大内と篠原、二人の被曝患者の治療は前川の医療者としての奢りをみじんに打ち砕いた。同時に被曝治療は、近い将来、勝つ見込みのある闘いだとは思えなくなった。
放射線障害を受けた臓器や組織を最新の再生医学によって次々と置き換えていくだけでは、人間は救えない。事実、大内も篠原も造血幹細胞移植は一応成功したものの、高度な免疫機能を持つリンパ球は未熟なままにとどまり、本来の免疫機能が回復することはなかった。
高線量の被曝、とくに臨界事故などによる中性子線被曝の治療について、これまで日本ではほとんど研究がおこなわれてこなかった。
日本は、電力の三分の一を原子力に依存している。しかし、原子力防災体制の中で、被曝治療の位置づけは非常に低いことを、前川は身をもって知った。自分達のような臨床医が関わっていたら、もっと違う体制をとっているはずだった。
大内が死亡した際の記者会見の最後に、前川はこう言った。
「原子力防災の施策の中で、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい。」
事故など起きるはずがないー。
原子力安全神話という虚構の中で、医療対策はかえりみられることなく、臨界事故が起きた。
国の法律にも、防災基本計画にも、医者の視点、すなわち「命の視点」が決定的に欠けていた。
放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。今回の臨界事故で核分裂反応を起こしたウランは、重量に換算すると、わずか1000分の1グラムだった。原子力という、人間が制御し利用していると思っているものが、一歩間違うととんでもないことになる。そのとんでもないことにたいして、一介の医師が何をしてもどうしようもない。どんな最新の技術や機器をもってしても、とても太刀打ちできない。その破滅的な影響の前では、人の命は本当にか細い。
しかし、大内はそして篠原は、その生命の限りを尽くして前例のない闘いに挑んだのだった。
放射線や原子力と命の重さの関わりを見つめなおしたい、と前川は決意した。
人の命の尊さを、原子力防災の枠組みの中で訴え、万が一、同じような事が起きた時、出来るだけ早く医療者として対応できるような準備をしたいと思った。そのための体制づくりに、自分自身のこれからの人生とエネルギーを捧げたい。
それは二人が与えてくれた決意だった。