事務所を訪れる客は、とくにきかないかぎり、水銀のことは知らされない。いや、知らないから聞かないのだ。ケノラでの空気は「知らなければ無害だ」というようなものだった。
どうしようもない状況にいるカナダの活動家数人をのぞいて深刻な憂慮を表明したのは、水俣と新潟の人たち、医師たち、弁護士たちである。私が日本にもどると彼らは「カナダには最新の医学的情報がありますか」ときいた。私はあると答える。そう、あるけれども、カナダでは役にたてたくないらしいのだ。水俣病を知る私たちが充分説明していないのだろうか?いま以上に何を知らなければならないというのだろうか?
私たちは新潟と水俣を経験してきた。もっと経験しなければならないのか?
世界は隔離箱で出来ているのではなく、日本で起ったことは、飛行機で氷漬けの魚を持ち帰るシカゴのビジネスマンにも起きうることを、いつになったら気づくのだろうか?
ビジネスマンは自分はかからないと思うかもしれないが、彼だってインディアンや水俣の人びとと同じ人間なのだ。
おそらくーそうあってほしいがーカナダでの発病は流行性の水準に達さないかもしれない。しかし、そうなった時は、犠牲者にとっては、何をしても手遅れなのだ。
カナダで見てきたこと聞いたことを水俣で話すと、友人たちは頭を振るのだった。水俣の患者たちがカナダのことをまるで水俣のどこかすぐそこのことのように話すのをカナダの人たちが聞ければいいのにと思う。カナダの人たちが、水俣の患者たちの目にある未来の患者を思う悲痛を感じてくれることを願いたい。
写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス