人間破壊
2013年09月19日 | 本
父さんは悪くなる一方だった。ひとり部屋に移しロープで手足をベッドにしばりつけた。それでも彼は暴れ狂い、言葉にならない言葉を発し、よだれを垂らし発作を繰り返した。3人の子どもたちが看病した。眠らないので、睡眠薬を注射した。看護婦たちが管で流動食を与えても、その管をすぐはきだしてしまう。発作は、始め短かったが、日がたつにつれて長くなった。「おっかさんは」と二徳は思いだす。「よう、おとっつぁんのことばじいっと見とらした。ただ立ってからー涙ぼろぼろこぼしながらーぼうっとしとらした。だけん、おっかさんも同じ病気にかかっとるてわかった。」
「医者どんに、おとっつあんば死なせちくれて何べん頼んだかわからん。あぎゃんおとっつあんば見るとは耐えられんだった。だけん、おっかさんは、自分もどんどん、わからんごつなっとに、『早う死なれるもんなら、死んだ方がいいのにね』ち、言わした。」
死はすぐにはこなかった。安楽死もさせなかった。発作は頻繁になる。意識はもうなかったが、壁に、自分の身体―足、頭、手―に爪をたて、爪がはがれ身体から血が流れるまでひっかいた。死ぬ二、三日前には、目は動かなくなっていた。父さんは発病3週間で死んだ。
熊本大学の医師たちは死の直前の浜元惣八を8ミリにとった。フィルムを見たものは、それは人間破壊についての痛ましい記録である、という。
写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス